2014/12/31

「捨てたい病」は「買いたい病」と根っこは同じ。


理由もなく「捨てること」ばかりを考えるようになってしまう現象は、買っても買っても満足できない「買いたい病」と根っこは同じです。

理由と目的がハッキリとしている「捨て」には、ある程度、いったんは収束の時が来ます。買い物もそうです。必要な物を手に入れたらあとは満たされるはず。ところが買っても買っても、満足できないのはそれを突き動かす何らかの気持ちが満たされていないからです。

結局のところ、「捨てても捨てても終わりがない」ような気がするのは、「買っても買っても満足できない」状態と同じです。単に、その時に流行している多数の価値観が「買い」に向かっている時には買い物に走り、反対に「捨て」に向いているときには「捨て」に向かっているに過ぎません。


バブル時代は「買い」に多数が向いている時代でした。今は「捨て」に多数が向いています。その辺の所をよくわかっていないと、いつも時代の多数の流れに翻弄されてしまい捨てたり買ったりを繰り返してしまいます。


一見、反対の行動に思えても根っこは同じということは、よくあるので注意したいですね。



2014/12/20

クリスマスの飾りは、なしです。

もうすぐクリスマスですが、現在は、クリスマスの飾りは「なし」です。

子供が小さかった頃はツリーを飾ったりしていました。と言っても、あちこちの素敵なブログで拝見するようなものではなく、ホームセンターから買ったリーズナブルで庶民的なツリーでした。子供が小学校に入学した頃に、そのツリーは処分しました。

もともと、なぜかわかりませんが、実はクリスマスの飾りにあまり興味が持てません。最近は大人の雰囲気のシックな飾りもありますが、何か苦手なのです。

というわけで、特別思い入れもなく、「子供のため」の時期が過ぎた段階で撤去しました。小学校入学時では「まだ早いのでは?」と思われるかもしれませんが、息子ということもあるかもしれませんが、子供本人がそのくらいになるとあまり興味を持たなかったので無理はしていません。

その代わり、サンタさんが来るのは毎年楽しみにしていましたよ。クリスマスケーキと料理で十分満足していました。


2014/12/18

家中の家財の数と金額を調べると。

持ち物の数自体に意味はない
以前、服の数にこだわるのはやめた。 (当ブログ記事 2014/6/12公開)という記事を書きました。


ブログ記事にする場合はとくに、「人様に、どのくらい持っているか、どのくらい減らしたか、ということを伝える」には数で表現するのが一番わかりやすいものです。けれども、本来、数そのものが重要なのではありません。


数年前、家中の全ての持ち物の数と購入金額を調べた
実は数年前に、家の中全体の持ち物の数を調べてみたことがあります。(←どんだけヒマ?)ついでに、購入価格もだいたい覚えていたので金額にも換算してみました。


当時、「かなり減らした!」と思っていたので、「どれだけ減らすことが出来たか。」を客観視して満足したかったのかもしれません。結果として、数字を見ても、多いか少ないかよくわかりませんでした。それを記録している最中は、完成した暁にはなにか画期的な解析もどきができるのでは?と期待していました。もっとも、まったく意味がなかったわけではありません。


数を調べたメリットは「家財保険を無駄に高い金額を選ばずに済んだ」ことくらいだった
我が家は賃貸ですが、火災保険の流れで家財に保険を掛ける際、掛け金の目安が記されていました。普通は、自分の家の家財が、どのくらいの数があり、新たに購入するとなればどのくらいの金額の分を所有しているかなんて分かる人はいません。なので、たいていは、その目安の一覧を見て選んでしまうと思います。

けれども、私の場合は、実際に数を数えて金額を算出していました。なのでそれよりもずっと少ない数で間に合うということが不安なく決めることができました。せいぜい、そのくらいです。


大変な事をしたわりに、たいして利用価値も変化もなかった
あとは、数を調べたからといって、特に変化も利用する価値もありませんでした。本を読んでも行動しなければ意味がないのと同じです。数を調べたからといって、活かす目的、すぐに活用する計画などがなければたいした変化は得られなかったというのが正直な体験からくる実感です。


それよりも、冒頭の前記事に書いたように、自分が管理できる量、スペースに対して無理がない量ということが重要になると思います。


持ちたい、減らしたい、どちらも欲・・欲、執着は必要な物ではある
「物をたくさん持ちたい」
「物をとことん減らしたい」

両者は一見、反対のようでいて実は同じ欲である場合もあります。いえ、私は「欲」や「執着」を悪い物だとは思いません。それがあるから生きようと思います。活力が沸いたり、自分や家族、仲間を守ろうとする意志につながります。欲はつきつめれば「生きたい」「生きよう」とする意欲につながります。執着もそうです。

ところが普段は「欲」や「執着」は良くないものをされることが多いですね。それはバランスと方向性が良くない場合はそういうことになるというのだと思います。


さいごに
「持ち物の数を調べる」も同様です。要は目的と方向性を見失わないこと、例えば「服の数を減らす」ことそのものが目的になってはいけないということです。


2014/12/11

神社などで「願い事」をするのはやめた。


数年前から神社などで祈願、いわゆる願い事をするのをやめました。


そう決めると、ちょっと出かけると祈願する場所が思った以上に多くて困惑します。例えば山に行けば必ず神社があります。観光地や、ちょっとした話題の場所の多くも神社やお寺があります。そうした場所の多くは手を合わせて何かを願う様な場所がたくさんあります。本来は、こうした場所は必ずしも祈願する場ではなく、挨拶をしたり、敬意を払う場でもあると思います。なので、そういう気持ちで手を合わせるにとどめています。


それだけではありません。お守り、矢、お札、おみくじなど関連グッズも売られています。以前は、年の初めの初詣の時に毎年、矢を買い、お守りを買い、おみくじを引いていました。



もちろん、中には深刻な問題を抱えていて「藁をもつかむ」思いの方や、真剣に修行をするなどで祈願している方もいることでしょう。そうした方の行動までも否定するものではありません。そうではなくて、何となく「お願いセール」のような安っぽい雰囲気で祈願と言うよりも欲という願望をひたすら吐き出しているような気がして私は安易にこうした場面でやみくもに祈願することに抵抗があるのです。



意識しなくても、気がつけば、そうした場所にたどり着いている事は多々あります。雰囲気的に、祈願している姿をしないとどうしても不自然な場合は、格好だけそうしたスタイルを演出します。が、頭の中は空っぽです。



もちろん、神社、お寺の存在や成り立ちを否定する気持ちは全くありません。何か他のことをシンコウしているからというわけでもありません。このようにいわゆる無シュウキョウと思われることは外国ではタブーだそうです。ウソでも「私はぶっきょうをしんこうしています。」と言わないとケイカイされるらしいです。



数年前のアニメ、千と千尋の神隠しでは八百万のかみさま・・が登場しました。日本は欧米と違い、かみさまが多数存在するという概念の国です。なので行く先々で自分の家が加入している寺のダンカのシュウ派に関わらず、結婚式は神社や教会で挙げたり、そのときどきで全く違う流派に祈願をすることに違和感なく行われています。


そういう社会的な冠婚葬祭などの場面では普通に行動しています。けれども、プライベートな場面ではそうしたものを懇意にすることは一切やめて数年になります。以前は実家から「有名な神社で祈願してもらった」とお札が送られてきたり、風水にも注意を払ったりしていました。嫁ぎ先のお墓も「建て替えた方が良いのかな。」なんて考えたりもしていました。母からは「今年は厄年」とか言われて気にしたり、かと思えば「知らぬが仏」だったのに・・と思っていました。つまり、かなり影響されていたわけです。


ところがあるとき、ふっと、これら一切のことに疑問を抱き、一般的な慣習以上に祈願、お参り以上のことをするのは一切やめました。それで何が変わったか、どういうメリットがあるか・・ですが、およそこのようなことだと思います。とにかく、全般に考えがシンプルになりました。以前は、新しく住まいを選ぶにしても風水的なことまで気にすると考えなくてはいけないことが山と増えて迷いが生じていました。今は、本当にラクです。




①「今」に重点を置くようになった。

②「できること」「できないこと」の区分を認められるようになった。

③前向きになった。

④細々した買い物が減った。(お守りなど)

⑤いわゆるスピリ○ュアル系の人が話す内容の胡散臭さ、矛盾点にすぐピンと来るようになった。

⑥少なくともス○ピリチュアル系が原因でSAGIに遭う可能性がゼロに近い。(SAGIに遭ったことはありませんが。)



現在、または数年前までは超ジョウ現象とされていたことが、科学の進化により、そうではないことが判明しているものもあります。これから、類似の例は増えると思われます。けれども、それらが広く知られているわけではありません。こうしたものを信じていたい人は情報を知らなかったり、知ろうとしない人も多いと思われます。そういう意味でもますます私にとっては不要なものとなっています。



私の場合、こうした方針について強固な考えはありません。ですが、いろいろとこれまでのことを考えてみると当初は全く反対の方針だったのですが、現在はその方が今の考えや価値観にしっくりくると思う事が多いのです。


もちろん、神社でお守りを買ってきてそれを見ると「うまくいくような気がする」「力が沸く」と言うことはあると思います。プラシーボ効果のように、本来はそれ自体に効果がなくても、本人がそうと信じることで良い結果に働くのであれば、利用するメリットはあります。けれども、何事も、ほどほどが大事ですね。



現在では、母から例えば「今年は厄年」のような話を聞いても、参考にしているフリ、「教えてもらって有難う」のフリだけで親心だけ受け取っています。全く気にしません。風水も気にしません。理にかなっていればそれでよしと思えるので、迷いが激減しました。つまり、こうしたことによって、ますます頭の中の雑念が減ってミニマムにシンプルに考えられるようになったということです。

いわゆる「目に見えないこと」を必要以上に想像しないという方針です。



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2014/12/01

ネットオフ 本の宅配買取り価格 査定結果公開。




先日、ネットオフに本の宅配買い取りを初めて利用してみました。今回は、気になる買い取り価格の査定結果と流れなどを公開します。


荷物が到着してから査定結果が出るまで予想より時間がかかった

荷物を送ってから、査定結果のメールが来るまでの日数はおよそ1週間でした。

新規のため本人確認書類などの手間に時間を要するのかもしれません。ただ、「即時買い取りは2日で査定結果が出る」と書いてありましたので、思ったより時間がかかった印象です。次回からは2日で結果が出る事を期待します。というより、少々時間がかかっても買い取り価格が高いなら、その方が良いというのが希望です。



予想より買い取り価格が低かったけれど、送料と手間いらずを考慮すると、こんなものかな~

割と新しい本ばかりのつもりでしたので、予想より買い取り価格が低かったと言うのが正直な印象です。宅配買い取りの送料分(おそらく企業の契約なので、1箱の送料は500~700円くらいか?)査定が低くなるのはやむを得ないのかも知れません。また、私の場合は段ボールは自分で用意しましたが、希望する人には無料で提供します。このような経費も上乗せされる分、買い取り価格が抑えられる原因になるのかもしれません。この辺に、若干の不公平感があるのが個人的な印象です。送料、段ボールは無料ということになっていますが、トータルで考えると実質的に売り主が負担しているという解釈も出来ます。




単行本
この本の中では「ペテロの葬列」が「高価買い取り」には該当していなかったのが意外でした。




新書

「炭水化物が人類を滅ぼす」が今回唯一の「高価買い取り」該当品のようで、この本だけ1冊150円となっていました。



文庫

特筆すべき事はありません。




その他

「片付けの解剖図鑑」は比較的新しい出版年ですが、高価買い取りには該当しないようです。売れ行きによるのでしょう。



コミックエッセイ

コミックエッセイは、8冊です。・・が「コミック」扱いが3冊で55円平均すると一冊あたり18円です。他5冊は「書籍」扱いのようで、平均すると一冊あたり39円です。「コミック」扱いだと価格が低く(18円)「書籍」扱いの方が価格が高い(39円)のようです。どの本がコミック扱いで、どの本が書籍扱いかは不明でした。

いずれも新しい本ばかりなので、これも意外~。1冊を除き、最近半年以内くらいに買ったばかりです。特に一冊はは今年の9月に出版されたばかりの本です。



では、これらの本の買い取り価格査定結果です。

コミック 3点  55円  

書籍 30点  1,180円
(内、高価買い取り本 1冊 150円)

合計      1,235円




平均すると、コミックは1冊18円、書籍は39円です。


結果はこのようになりました。最近2,3年ほどは読み終えた本は捨てていましたので、「それよりマシ」というところでしょうか。とはいえ、買い取り価格は低くても、短期間に手っ取り早く処分するには一番確実で良い方法です。重い物を運んでもらえるという点も大きいと思います。


購入価格に対して買い取り価格が低い事が気になる人は多いですね。でもすでに支払った支出は財布に戻ることはありません。こうしたことは本に限らず、服、家電、家具、雑貨など全てに言える事だと思います。


処分して買い取ってもらったとき、その価格が思ったより低いと、そうした前提を忘れがちです。「そんなに安い(低い)買い取り価格なら売らずに持っていた方が良い。」という人もいます、不要品でも。その心理は「誰かが私のおかげでトクするのは許せな~い」っていう事なのだと思います。「誰か」というのは利益を得るかもしれない企業だったり、それをお店で安く手に入れる顔もわからないどこかのお客さんだったりします。こうしたことは考えない方が良いと思います。




2014/11/27

リサイクルショップ持ち込みで少しでも高く買ってもらうために。



リサイクルショップに買い取りで持ち込む際、少しでも高く買って欲しいですよね。

持ち込みする時に、ちょっと意識していたことがあります。実際に、ノーブランド品でも思ったより値段が付いたりということはよくありました。

あくまで推測ですが「思ったより高く買ってもらえた」理由とコツなどをまとめてみました。

まず、「どうせ不要品だから」という気持ちが現われた物の状態よりも「他の方に気に入ってもらえたら」という気持ちが表れているほうが印象が良いことは確実だと思います。


リサイクルショップ持ち込みで衣類などを高く買ってもらうコツ

①持って行く袋は、きれいなものに。きれいでも激安系ショップの袋はなるべく避ける。(あれば)メーカー品、ブランド物のショップバッグがあればベター(ただし、ヨレヨレの袋はだめ)に入れて持って行く。


②きれいにたたんできちんと入れて持って行く

③シワ、汚れ、ホコリなどは取っていく(当たり前ですが)
 クリーニングに出したものならあえて、そのままの袋で

④自分の身なりと持ち物をきちんとする

 リサイクルショップだからと気を抜いた格好で行かない

 バッグはブランド物かちょっと高そうに見えるものをあえて持って行く(売る物ではなく自分の所持品のことです)



要は、リサイクルショップの人も人間だという原則を忘れないことです。いくら買い取り基準のマニュアルがあると言っても、売りに来た人の第一印象によって「質の良い物を買っている人か否か」という主観によってノーブランド品など買い取りの基準が微妙なものは「この人が買った物だから、きっとそれなりに良い物だろう」と思ってもらうための戦略です。


たとえブランド物でも、ぐしゃぐしゃに汚い袋に入れて持って行き、どうでも良い服装で行ったならば、その反対の主観をもたれてしまうのではないでしょうか。

「この人は、質の良い買い物をする人で、扱いも丁寧」と思わせることが重要だと思います。本当はブランド物や高額の買い物をしていなくても良いのです。「安物買い」をする人だと思わせない事がポイントではないかと推測します。




2014/11/26

アウトドアレジャー用品のほとんどを処分し、レジャーシート一枚にした話



本来、不便を楽しむはずのアウトドアレジャーです。けれども、最近はすごいですね。バーベキューを楽しむ人の傍らには簡易テント、テーブル、イス、蛇口付き水のタンク、・・などがずらりと並んでいます。そして家にいるのと大差ないようなスタイルでバーベキューを楽しんでいます。

実は我が家も例外ではありませんでした。数年前、防波堤釣りによく出かけていた頃は、そんな感じだったのです。案の定、車のトランクはアウトドア用品でいっぱいです。その他に釣り道具も加わるのですから、ものすごい量でした。

はじめは新しい道具が増えると嬉しかったものです。ところが物が多いと言うことは、荷物をセットすることはもちろん、帰るときの片付けも時間がかかります。いちいち車から出すのが面倒なのでトランクに入れっぱなしのこともありました。となると常に余分な荷物を入れているので燃費も悪くなります。

あるとき、急にこの行動が馬鹿馬鹿しく思えました。そのシーズン終わりになると、「しまう場所が足りない」事に気付きました。そこで、そのアウトドア用品のほとんどをリサイクルショップに持って行きました。もし、来シーズンになって「やっぱり必要」と感じたら、その時に改めて買えば良いので問題はないと判断しました。それに、アウトドア用品は安価な物も売られているのでその方が無難だと考えました。

シーズンオフのアウトドア用品を収納するスペースの心配もなくなりました。結果として、それ以降は余計な荷物を持つことをやめました。アウトドア用のイスとテーブルの代わりに、レジャーシート一枚+ミニイス一個に。バーベキューセットの代わりに卓上コンロとフライパンと風よけにアルミの油よけシートに。次の段階には、なるべく家からおにぎりなどを持って、それすらも持つのをやめる。・・などです。

その結果、車のトランクはウソのようにいつでもガラガラスッキリになりました。荷物の準備も後片付けもラクになりました。アウトドアレジャーは不便を楽しみにいくものです。イスやテーブルは必要ありません。




2014/11/25

ネットオフの宅配買い取りに本を送ってみた。




ネットオフに本を宅配買い取りで送ってみました。数ある宅配買い取り店の中からネットオフを選んだのは理由があります。



①大手の業者であること
 一概に言えませんが、身分証明書のコピーなどを同梱したりする以上は信頼の置ける企業でないと不安です。




②身分証明書のコピーの保管方法などについて、一応記載が書いてあったこと。
 宅配買い取りではこれが一番不安な点でした。

サイトの「よくある質問」のQ&Aの中に「提出した身分証明書類はどうなりますか?」という質問に対し、下記のような返答が書いてありました。

 ご提出いただいた本人確認書類写しの用紙や商品送付書、アップロードいただいたデータ等は、弊社の鍵付き保管庫等にて厳重に保管いたします。本人確認書類や商品送付書を含む買取のお取引記録は、古物営業法等により一定期間の保管が義務付けられております。期間経過後は廃棄及び削除いたします。

もちろん、だからといって漏洩の可能性は0ではないでしょうが、このような項目を乗せている企業は見かけないので、記載があるだけでも良いと判断することにしました。過剰に警戒しすぎては何も出来ませんからね。



点数が少ない場合は1点から申し込みできる「ポストにポン買取」もあるようです。読んだ本を片っ端からポストに投函する・・・なんてこともできますね。高価買い取りの本があれば早いうちが良いですからね。

ネットオフ2



③本以外も買い取りをしている

ネットオフ4

アウトドア用品やブランドバッグなど検討したいものがあります。同じサイトなので登録も一カ所でシンプルに手続きできます。



今回送ったのはミカン箱大1個分(自宅にあった物を利用)です。ちょうど下記の本が収まりました。

買い取りに送った本

全部で32冊(宅配買い取りは30冊以上)

内訳 新書      10冊
    文庫       6冊
    単行本      8冊
    コミックエッセイ 8冊

      (合計     32冊)




入金は本の場合は自動承認と承認後入金から選べます。


荷物を取りに来たのは佐川急便さんでした。
「自動承認」を選んだので後は入金を待つのみです。
結果が出たらまたレポしたいと思います。





2014/11/18

豪アナウンサーが1年間同じスーツで出演したらしい。



今朝のNHKテレビで、「オーストラリアの男性アナウンサーが一年間同じスーツで出演」したと話題になっていました。スーツの色は青みが強いネイビーで、ネクタイは替えているようでした。ワイシャツは番組で観た範囲では白いワイシャツでした。視聴者からのクレームは一度もないそうです。番組によると、そのスーツは1着だけなのか、それとも複数同じスーツが有るのかは不明だそうです。個人的にはそこまで調べて欲しかったなあ。(NHKなんですから。)おそらく後者だと思いますけどね。


確かに、男性ならばそれも十分アリだと思います。気になるのは、女性だったら?そういえば、アナウンサーは制服という概念がなく、毎回違う服を着るものというイメージがありますね。書いていて気付いたのですが、もしかすると「毎日違うコーディネイトをしなくてはいけない。」という概念って女性アナウンサーの影響もあったりして?


そもそも、「毎日、違う服」を着るのは、制服以外は「きちんと洗っています。」「ある程度の数の服を買う経済力があります。」の意思表示の側面もあります。普通は全く同じデザインの服を数着買うよりも違うデザイン、せめて色違いの服を買うのが普通です。一目で「違う服」とわかることで暗にそうしたことを表現しているわけです。

「買おうと思えば普通に買える経済力」があれば、フツーは適度に違う服を着るのが一般的です。なので「いつも同じ服」だと「大変なのかしら?」と思われるのではということを恐れて、「着回し」の努力をしてしまうんでしょうね。


オバマ大統領、スティーヴジョブス、ピカソ・・上記のテレビ局のアナウンサー・・この方たちが「いつも同じ服」でも何も言われないどころか、むしろカッコイイと言われるのは「買えない」ことが理由でないことが明白だから・・という面も否定できません。「そうじゃないよ。」と言ったって、身近な人が最近いつも同じ服で現われたらどう思います?「あれ?今、お金なくて大変なのかな?」って思ってしまいますよね。即座にカッコイイ!とはあんまり思わないのではないでしょうか。






2014/11/07

書類に保管期限があるものや、画像データの保管はNGの場合もあるって知ってた?

11月5日の日経新聞にこんな記事が載っていました。


「政府が税務調査の証拠となる領収証や契約書の原本を原則7年間保管するように企業に義務づけていた規制を2015年にも緩める方針」

「3万円以上の場合、紙の保管が原則だったがスキャナーで読み取った画像データの保管をすれば原本を捨てられるようにする」


「画像データは比較的簡単に加工できるのでねつ造や改ざんをしやすい」ことが懸念されるので、不正が横行しないように内部統制の方法などを細かく定める」



にっけい1106と電卓とペン


事業関連の文書には保管期間が設けてあるものがあります。

また保管方法もスキャナーで読み取った画像データでは物によってはNGなのです。新聞記事にあるように、保管方法は少し緩和の兆しがありますが、無条件に自分の都合で画像データでの文書が認められるわけではありません。



少し前には著名な片付け相談業の方が事業を行っている方の書類を「ほぼ全捨てさせた」と書いてあったのを読んで違和感を覚えた事を思い出しました。

個人判断で処分したり保管方法を決めるのは自己責任です。けれど、気になったのは片付け相談業の方は果たして こういうことを知って指導しているのかということです。

一般家庭の個人のものの場合は「支障がない。」という声も聞こえそうですが、当人は「この文書は個人のもの」と思っていても実はそうではなかったということもあります。


仮に、悪意がなく処分したとしても税務調査が入ったとき「保管すべき文書がない」ということで意図的に隠蔽していると思われないとは限りませんよね。

だから、文書の扱いはそうした知識がない方に相談するのはちょっと注意が必要です。


こうしてみると、文書の整理というのは単に見た目がスッキリするとか、使いやすいとか保管場所をとらないというだけが最終到達になると限らないので慎重に行う必要があると思いますよ。



2014/11/05

真面目に減らさず、楽しんで減らそう。

物は楽しんで減らした方がうまくいく
物を減らすことを難しく真面目に考えすぎていませんか?物は、もっと楽しんで減らした方が良いです。まあ、何かの岐路に立ち「心機一転!物を減らすぞ!」のような覇気のある気持ちの時なら、それも良いのですけどね。


努力と課程評価中心ではいつまでも結論が出ない
私たちは、学校生活で「結果よりも努力や過程が大事」だと教えられます。確かに、過程には「経験」「体験」が蓄積されます。そういう意味で意味がないとは思っていません。けれども、その価値観は、結果と現実を見ず、努力に満足してしまい、いつまでも結論が出ないことにも陥りやすいのです。


出来た人は努力をしても結果を出しても感情にも態度にも表さない
努力評価型でしばしば同時に用いられるのが「感動」です。最近の傾向は「感動の大安売り」です。本当に出来た人は、努力をしても結果を出しても淡々としています。普通の人にすれば十分に「感動」に値することをこなしても、よほどのことでない限りそれを表に表すことはありません。ところが最近は、何でもかんでも結果を出す前の経過のエピソードを安易に感動に持って行きがちです。ついには片付けさえも、そうした材料に用いられていることがあります。


テレビでも多すぎる浪花節良しの傾向
問題は、増えすぎたり乱雑に置かれた物にあります。ところが「努力重視型」の場合は、その原因をしばしば、そこに住まう人の感情にあるとされます。そうして、その課程には義理、人情の話が盛り込まれます。それらを否定する気持ちはありませんが「要は浪花節」を片付けに持ち込んでいるわけです。浪花節調の片付けの締めに必ずといって良いほど登場する場面が「涙」です。これがどうも苦手ですね。依頼者と片付けに関わったスタッフはともかく、最近、テレビのバラエティ番組でありがちで違和感があるのは、ちょっと涙ぐんでいる様子を「号泣」と表現する1こと。他にも、「多分、本当はたいして感動していないのに、テレビに映りたくて涙を流しているフリ(本当に涙が出ている場合もあるけれど)をしているな。」と思われる出演者があまりにも多いことです。


現実社会では大の大人がいちいち泣いていられない
多分、そういう人を映すと視聴率があがるからなんでしょう。でも、実際はどうですか?その程度(と言ったら失礼ですが、テレビで涙を流す人続出のエピソード)でいちいち涙を流していたら「この人はすぐ泣く。やってらんない。」と思われますよね。現実社会では、大の大人が人前で涙を流しても批判的に見られない場面など、そう多くはないのです。だから、普通の大人は「ちょっとしたことで涙を流さない」習慣ができています。子供の時はすぐに泣きますが、大人になるにつれて徐々に「人前で簡単に泣かない」訓練を積んでいくわけです。だから、今時のテレビで、出演者がすぐに泣くのはせいぜい演技だと思っています。


すぐに泣く人を信用しない
本当はそこそこ強いのに、涙を流し弱いフリをする。そうして「心優しい人」を演じる。そして同じ場にいる「涙を流さない人」が「鈍感で心が優しくない人」のように対比を作り上げてしまう。もしかすると、本人には全くそんなつもりがないのかもしれません。たまたま自然に涙が出ることはでるあります。けれども「涙を流す繊細で優しい私」に酔っているような場合もあるなとしばしば思います。もちろん、そんなことは思ってもおくびにも出しませんが。でも、本心はそういう雰囲気は最も苦手とするところです。だから私は涙腺やメンタルに持病があるのでない限り、大人であるのにすぐに涙を流す人を信用しません。

物を減らす過程に浪花節は不要
ものを減らしたり片付けをする課程も同じです。物に対して浪花節を持ち込む必要はありません。もっと楽しんで減らした方が良いなと思います。原因と問題解決の結果の効果などを浪花節にとらえてしまうと物が物に見えなくなります。同時に自虐感が行き過ぎて自分で自分を追い込んでしまいます。真面目な人ほど要注意です。本当は、「物」をどうするかというシンプルな話であるはずですが、原因が「人」にあるとされると、完全に否定出来る要素がないだけに妙に説得力が増してしまいやすいので注意が必要だと思います。物は「減らすべき」ものではなくて「まあ、物でも減らしてみよ~かな♪」のノリで淡々と「物」として向き合い、楽しんで向き合った方ががうまくいくと思います。



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2014/11/01

子育て中のミニマムな暮らしの分岐点

大人だけなら最小限もアリ。けれど子供が絡むと難しい。
大人だけの生活であれば多少「変わっているかも?」と思われたとして、「まあ、そんなこともアリなんだろうね。」と軽くスルーされることでしょう。けれども、子供がいる生活は、自分(大人もしくは親)はそれで良いけれど、結局は「世間」の目をどうしても意識せざるを得ないのが難しいですね。

「フツーは持っている物」を持たない事による現実問題
例えば、いくら自分たちが「車がなくても生活できる。」と思ったとして、周囲が車が有るのが当たり前だとします。すると、子供の部活、習い事、その他の用事の送迎などには「車がある」ことが前提の段取りになります。となると「車を持たない」事は非常に厳しいものとなります。もちろん、本当に金銭的に車を持つのが困難だとか、健康上の理由で親が車を運転出来ないなどの場合は全く別です。けれども、「(車を)持とうと思えば持てるのに、持っていない」となると、どうしてもいろんな場面で気まずい雰囲気になることがあります。我が家の場合も、そういうことを想定して子供がある程度の年齢になるまでは実質必要なくても持っていなくてはいけませんでした。

子供には「世間のフツー」にある程度乗るのが妥当
子供に関連する持ち物も同じです。例えば、自分たちは「子供にスマホはまだ要らない。」とかゲーム機は「これがあれば他は要らない。」と考えていたとしても、周囲の子供がスマホを持っているのが多数だったり、複数のゲーム機、ゲームソフトを持っているのが当たり前の場合は、やっぱり「持たせるのが妥当」という選択になります。その代わり、新作が出てもいの一番に買うような事をしないなど、安易に意味なく飛びつかない(本人が小遣いを貯めて買うなどの場合は別)などを教えることでフォローしています。


時には「世間」と「フツー」に譲歩する事も必要
こういう場合「よそはよそ、うちはうち!」と、強固に親の方針を貫き通すのは子供にとってあまりに酷だろうなと考えます。自分の考えを押しころして他人に同調することや「みんなが持っているから。」という理由で同じように物を持とうとするのは子供を甘やかすということとは、一見、同じようでいて実は別に考える必要があるのです。その代わり別の部分で他者に同調しすぎないと言うことを教えれば良いだけです。


「世間とフツー」の流れに乗ることは決して「自分がない」こととは限らない。
例えば、服なんて、本来清潔であれば新しいものである必要はありません。けれども、だからといって、今の日本でつぎあてのある服を子供に着せる人はいませんよね。世間一般の「普通」に合わせて、安くても新しい服を着ています。それが甘やかすこととは別の次元の問題ということは理解して頂けると思います。


子供が関連する世間に「持たない理由」の説明は難しい
同じように、それが子供の持ち物、スマホやゲーム機なども要は同じだということです。場合によっては親が所有している車なども同じです。子供は、ただでさえ大人が考えもしない小さなことで狭い世界で一喜一憂しながら生きています。それだけで日々精一杯です。だから、親の世間とはちょっとだけ違う価値観(この場合は物をあまり持たないということ)を子供が子供や周囲の大人にうまく「持たない理由」を説明するのは困難だと思います。昔であれば「持っていない。」=「買えないから。」という単純な理由だったと思います。しかも、そういう人は大勢いたので、さほど目立つことはなかったかもしれません。

現代は「持たない」理由のほうが難しい
けれども、今は「持っていない。」理由は難しいのです。「持ちたくない。」という理由はまだまだ世間一般にはあまり浸透していないのが現実だと実感しています。大人だけの暮らしになるまでは、もしくは子供が大人になるまでは、ある程度「フツ-」に徹して世間並みの物を持ち、子供に持たせるのは平穏に暮らすために必要なことなのです。


このブログのサブタイトルの理由
私がこのブログのタイトルに「ちょっとミニマム」と添えているのもそうした理由にあります。本当は大人だけであれば(オットが同意した場合は)もっと最小限の物で十分だと思います。今も「本当は不要」に思えるものはたくさんあります。けれども、やっぱり子供には世間一般の「フツー」の中で「どうして持っていないの?」な余計な苦悩をわざわざ追加する必要性を感じません。

本当のところ思い出品ほど捨てても影響のないものはない。
将来的に、子供が自分で自主的に余計な物を持たない選択をするか、それとも人並みにいろんな物を持とうとするかはわかりません。けれども、今は子供に関する物についてはある程度「世間並み」の物をそろえています。その代わり、子供にもオットにも全く影響のないものに関しては物を減らしてきました。思い出品は捨てられないと多くの人が言います。けれども、本当のところ思い出品ほど捨てても誰にも影響のないものはありません。写真もそうです。(子供関連の思い出品は子供が絡んでいるので別)


最後に
要は、最小限の物で暮らすとは言っても、家族で暮らしている場合、特に高校生以下の子供がいる場合はある程度限界もあるということです。もちろん「子供がいるから物が増えるとか片付かない・・のたぐいの話は別ですよ。本当は世間やフツーと言われる価値観に流されずに貫くのが理想です。けれども、そうした方針を合う人ごとに話して説明することは不可能です。となると、「変わっている人」「変な人」下手すると「KECHI」などと言われかねません。大人だけであれば好きでやっている事ですからそれぞれの判断で良いのです。けれども子供がいる場合は極端な暮らし方の方針は影響を与えてしまうことがあります。ケースバイケースですが注意して程ほどにする必要が有るというのが現実だと思います。




2014/10/30

ダイソーのステンレスバットの意外な使い方


数ヶ月前から、100均をちょこちょこのぞいていました。それで、遂に見つけました。ダイソーで発見。もちろん、事前にサイズをしっかり測っていきました。シンクに水やお湯をためられるならば、必要ありませんが、いつも「浸せば楽なのになあ」と思っていましたが、モヤモヤ考えていたことを実行しました。物は増えますが、これは自分では良いのです。

バット1



料理の下ごしらえなどに使うバットです。


こんなにしっかりした作り108円なんて嬉しいですね。30年くらい使えそうです。それで、何に使うかというと・・

このサイズに約2Lのポットの湯にセス機炭酸ソーダ(アルカリウォッシュ大さじ2くらい)を入れて溶かし、レンジフードカバーを浸しました。(分量はテキトーです。材質によって変質、変色のおそれがあるので初めて行う場合は湯は低め、濃度は薄目にした方が良いです。長く放置しすぎても同様なので、初めての場合は一枚ずつこまめに様子を見て下さい。以前、濃すぎる濃度に浸したらステンレスがアルミ色になってしまった経験があります。)

かんきせん4


1時間ほど放置したあと、ひどいぬるぬるはぼろ布で拭いて湯で洗い流しました。スッキリ。(わかりにくいですね)

バット2




参考までに

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バット・こちらは100均ではなく、アルミですがサイズが豊富で価格もお手頃のようです。
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年末近くに慌てず、今のうちに少しずつ手入れをしておくとラクできます。時には手入れのストレスをなくす道具を用意するのも良いと思います。



2014/10/04

群れずに暮らす。

群れることが好きではありません。理由は自由が少なくなるからです。複数が集まると主義主張が交差します。誰かが妥協しなくてはいけません。そこに不自由さが生まれます。大勢の人と居れば、アクシデントにも強く心強いのかもしれません。もちろん、人と接触せずに暮らしたいというわけではありません。人と雑談を交わす事は楽しいと思いますし、人は一人で生きていけないとも思います。


けれども、だからこそ、年がら年中、複数で行動することに意義を見いだすことが出来ないのです。

例えば、月に一回、二回程度お茶するのは許容範囲です。けれども、毎日「ママ友と一緒にランチ」する必要はないと思いますね。ところが近隣の若いママを見ると大変そう。幼稚園に子供を送った後、ずっと一緒に行動している人が多数。4,5人ずつのグル-プでウォーキングをしているらしい様子を見かけます。歩いたあとはスーパーで一緒にお買い物にも行っているみたい。そうこうしているうちにお昼のあとお迎えの時間ですよね。いや~大変そうだ。女子中高生じゃあないんだから・・と思いますね。もちろん、全員じゃないでしょうけどね。


今、私はそういう年代は通り越しましたので傍観者でいられます。けれども、渦中のママさんたちは、きっと 孤立しないようにと必死なんだろうなと思います。そんな風にして子供同志のような慣れ合いの繋がりで群れることに意義が感じられません

ママ友との交流は良い情報源の宝庫と思っていることがあるでしょう。けれども、その内容は単なる噂が99%、それぞれの主観です。事実とは限らないし、解釈の違いかもしれません。先入観が邪魔をする事が多いのです。その手の情報はキリがなく憶測が憶測を呼びます。余計な先入観によりせっかくの機会を失うこともあります。

子供って母親から受ける影響って大きいですよね。親が大人になっても小学生の女子のように常に群れて行動していたら子供もそれなりでしかなくなってしまうのではないでしょうか。


どうも、日本人って(まるで自分が外国人のような言い方ですが)群れて行動しておらず単独行動する人を変わり者扱いしたり、寂しいと決めてかかりすぎです。一人が苦手で常に群れていないと不安な人もいるのでしょうが、その反対の人もいるのです。けれども、「みんないっしょ」はポジティヴで思いやりがあるようなイメージがある反面、「一人が好き」というとネガティヴで、自分勝手であるかのような印象があったり、本当は寂しいのに相手がいなくて一人でいると勝手に決めつける風潮には困ったものです。




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2014/09/22

トリートメントはいらない。シャンプーとリンスでOK。

私の髪の毛に関する品は、シャンプーとリンスだけです。家族はオットのみ毛染め系の製品を使っています。それ以外は家族全員同じモノを使っています。


トリートメントやツヤ出し剤くらい、必要なのではないか。と思うかも知れませんね。エコ信仰なわけではありませんが、目的に合うシャンプー、リンスを使えば、それ以外は必要ありません。

美容院に行くと、つや出し剤やスタイリング剤を勧められますが、いつも断っています。でも、先日はささっと使われてしまいました。そのあと、一日中、ニオイが気持ち悪くてダメでした。髪の毛も見かけのツヤがでても、異物を吹き付けているだけのような気がします。必要ありません。


多分、多少はパサツキなどもあるのでしょう。けれども、何が何でもツヤって出さなくてはいけないものなのでしょうか。たまたま体調や天候で髪の毛の調子が変化します。それは当たり前のことです。芸能人、モデルのように「見せる」仕事をしているならばそれも必要でしょう。けれども、何かを人工的に吹き付けたり塗ったりして見かけだけのツヤを出せば、そのあとはシャンプーを念入りにしなくてはいけません。おそらく2度洗いしなくてはいけないでしょう。となると、髪の毛が傷むのでトリートメント、つや出し・・の悪循環です。


本来、シャンプーそのものも毎日は必要ないとも言われています。さすがにまだ、そこまで実行するにいたりません。


余計なヘアケア製品を使わないためにはヘアスタイルをある程度限定しなくてはいけません。ウェービーヘアはだめでしょうね。毎日スタイリング剤をたくさん必要とします。ただし、ストレートヘアの人がウェービーヘアにするにはパーマをかけてスタイリング剤が必要になります。反対に天然ウェービーヘアの人が縮毛矯正やストレートパーマなどをするとやはりスタイリング剤が必要になると思います。つまり、もともとの自分の髪質を生かせば、あまり余計なモノが必要でなくなるのに、つい「ないものねだり」をするからいろんなモノが必要になるんです。

学生の頃、天然ウェービーヘアの友人をうらやましく思っていました。パーマをかけなくても、いつもゆるふわな感じが良いなと思っていたからです。ところが、その友人は社会人になった途端、ほとんといつもストレートパーマを掛けてストレートにしていました。結果、髪の毛がいたんで大変そうです。

私は反対で、ストレートヘアなので、パーマを掛けることが何度もありました。けれども、大量のスタイリング剤を使わないと、髪の毛がいつも、とんでもないことになります。シャンプーも大変でした。時には、ヘアカラーもしたり。

けれども、子供が小学生になった頃からこうした「無駄な抵抗」はスッパリやめました。するとヘアケア品など特に使わなくても、髪の毛はそんなに傷むこともありません。スタイリング剤を使わないので、シャンプーはシンプルなモノで間に合うからです。トリートメントも不要。

その代わり、洗いすぎと言われるかもしれませんが(最近話題の湯シャンなどからみれば)朝シャンをして、ブローをすることに徹しています。以前は、朝にシャンプーをしてブローをするのが面倒だったので寝癖かウェービーなのかわからないヘアスタイルがラクで良いと勘違いしていたのです。

素のままのストレートで、ロングでさえなければ朝シャンもブローもたいした手間ではありません。何より、洗面所や浴室がスッキリします。





2014/09/20

粉もの、乾物、調味料は「種類」を減らす。

粉もの、乾物、調味料などの食材は、種類も多くあります。使用頻度にばらつきもあります。形も容量も様々です。当然、上手に収納しつつ使い勝手よくするのは結構難しいのです。これまで、いろんな方法を試みました。


その結果、一番良いのは思い切って「使う種類を減らしてしまう。」ことです。


昔、書いていたブログに掲載した写真が未だ某サイトにアップされていたりします。(一応、引用元の記載があるものの、要約が的外れで挙げ句グッズの種類の説明を間違えている。引用する割に画像だけ拾い集め、記事は斜め読みすらしていない証拠。)当時の画像を見ると、種類の多さにあきれます。


一見、整然として使いやすそうですが、実際は、それから数日すると形状が崩れます。収納ケースを洗って乾かすのも面倒です。


以来、やっぱり「減らす事が最善。」と思い直しました。思い切って使う種類を厳選しました。おそらく、当時より3分の一くらいの種類になりました。


どうしても、多くの種類を使いたい場合は、シーズンごとに使うものを変えます。そうすれば収納スペースに収まっている種類は、いつも最小限のままですが、いろんな種類をつかうこともできます。






2014/09/18

車を持たない。

結婚時普通車二台→約13年前普通車1台→数年前ゼロ台。


我が家の車の所有歴です。と言うわけで、現在は持っていません。思い切って車を持たない暮らしをして数年になります。最後の一台をゼロにするときにはかなり迷いました。ちょうど車の買い換えのタイミング時でした。「車の維持費って高いよね。ないとかなり浮くよね。もしかして、車、なくても暮らせるんじゃない?」ってことで思い切って、新たに買うことをせず、暮らしてみることにしたのです。その結果「やっぱり車は必要」と思えば、改めて買えばいいか!」ということで処分に踏み切りました。その結果ですが、ずっと当時のゼロを継続しています。


今回は実際に暮らしてみて車を持たない暮らしののメリット、デメリットをまとめてみました。


メリット

支出をかなり減らせる。

これが一番大きいです。車両購入代、車検、ガソリン代、駐車場代、タイヤ購入代、消耗品購入代、洗車費用、修理代・・とにかく持っているだけでどんどんお金がでていきます。


余計なモノを買う事をセーブできる

車で買い物に行くと、いくらでも詰めるのでつい、買ってしまいます。それから、ホームセンターなどで収納用品やインテリア用品などのちょっと大きめで重いものでも車があると、気軽に買ってしまいます。本当に買いたければ配達を頼むなどで買えるのですが、なぜかその段階になると「う~ん、もう少し考えてみよう。」と即決しなくなるんです。そのうちほとんどのものは買う気がなくなります。


車のことを考えなくて済む

持っているだけで、「修理しないと。」とか「洗車しないと」とか、「やっぱり買い換えようかな」とかとにかく知らずいろんな事を考えてしまうものです。そもそも持っていないと車のことは全く浮かびません。


事故のリスクがない

どんなに気をつけても事故に遭うことはあります。それ以外にも、駐車していたら誰かがぶつけて傷が付いた・・イライラ・・なんてこともあります。そういうイライラも一切不要です。



車の手入れにかける時間が不要

車は結構、手入れが必要です。ダンナさんが車の手入れが好きな人は良いですが、オットは関心ゼロなのです。いつも洗車やワックスがけは私かガソリンスタンドでした。



渋滞、出先で駐車場の心配がいらない

基本的にバスはともかく、電車は渋滞と無縁です。ただし座れなかったり混雑もありますが。





デメリット



公共の交通機関の便が良くない場所でのフットワークが悪い

例えば帰省のときはレンタカーを借りています。
病院に行くとき困るかも・・と思っていましたが、幸い、自力で歩けないほど具合が悪くなった家族は今のところいません。


重い物、かさばるモノの買い物が不便

これはネット通販で難なくクリアしています。
便利な世の中です。
駐車場から家の中に運ぶのでも意外と大変です。けれども宅配なら玄関まで運んでくれます。


気軽にドライブなどに行けない

これは慣れだと思います。電車やバスで移動する楽しみを味わっています。路線バスや電車に色々乗る機会が増えます。するとテレビで「途中下車の旅」などをみると、注意深く見入ってしまいます。行ったことがある、これから行ってみようなど車では味わえない視点の旅を楽しめます。



ペーパードライバー気味になってしまった。

オットは、帰省の時にたまに運転していますが、私は何年も運転していません。ペーパードライバー気味です。再び運転できるのか心配です。



さいごに・・

車を持たないと、お金の減り方が全然違います。車は乗らなくても、持っているだけでお金がかかります。世間でガソリン代が高騰している・・とか騒いでいても、全く気にする必要もありません。


地域によっては交通機関が整っていなくて無理な場合もあるでしょう。けれども、同じ地域の人はたいてい車は所有しています。ほとんど起きっぱなしで動いているのをみたことがない車は多いです。地域によっては車を持たない暮らしも可能なのですが、「持って当然」?、「持っていないと貧乏と思われる」?そんな価値観は今の時代不要です。車が大好きとか「ないと生活できない。」のなら持たない選択は必要ありません。けれども、何となく習慣と雰囲気、ステイタス作り、など惰性で持っているだけならば見直しをしても良いのかも知れません。


持っているものの「当たり前」も車のように大きいものって案外スルーしてはいないでしょうか。チマチマと小さなモノを減らす事も必要ですが大物のあるなしはいろんな意味で大きいのです。こういうものを手放すと価値観や物の見方も変わります。



2014/09/17

自分だけの写真は全捨て。

子供が生まれる以前の写真は、基本3年前くらいに全捨てしました。


これは、ときめく、ときめかないなどに関係なく処分しました。昔はフィルムでしたが、それもです。


私が結婚するときには母は連日、私が仕事で出かけている間に私のモノを毎日断捨離処理していました。もちろん、勝手に捨ててはいないですよ。帰宅すると廊下の隅に断捨離候補群が山積みされていました。そこに出したモノは置いていくなというわけです。いるなら新たな住まい(結婚後の)に荷造りして持って行く。それ以外は捨てるか誰かに譲るか段取りしなさいというわけです。写真に関しては母が家中から私の写真を集めて全部「はい。」と渡されました。


正直、随分冷たいなあと思ったものです。けれども、今にして思えば、このときに一気に断捨離したので実家に置いてあるものは皆無です。同時にありがちな「要らない物を荷造り」することも回避できました。そう、母は元祖断捨離アンなのです。(でも、私の結婚用の家財は大量に買わされた)子供の頃から、捨てるは日常でした。新しい家具でも家電でもしばらくして「邪魔だ、使いにくい」と感じるとさっさ手放していました。母の姉妹も似たような感じです。母はそれでも緩い方です。


そんな状態が当たり前だったので、私は比較的「手放す」ことに抵抗が少ないのかもしれません。


写真でも、普通ならば娘用と実家保管用のスペアがあったりしますよね。荷物にしても独身の時の部屋がそっくりそのまま残っていたりするようです。けれども、私の場合は結婚前から毎日断捨離作業されていましたから「もう、ここに戻ることはないのだ。」と自覚が出来たようにも思えます。


思い出品とは、あると思うからから惜しくなるだけです。ないならないで暮らせます。もちろん、何か特別思い入れがあるものを無理する必要もなく、全ての方に勧めようとは思いません。ただ、私は必要性を感じないだけです。こんな風に書くと冷たい人だなあと思われるかもしれませんが。



思い出品の保管をしていないことと人情は別のものだと思っています。




2014/09/16

DIY品は、高くつく。そして捨てるはめに。

引っ越しの時に真っ先に処分対象になるものがありました。それは、DIYのたぐいの手作り品です。数年前、テレビのお昼の主婦向け番組では、よく部屋を片付ける企画が毎週のように行われていました。物であふれた住まいが、収納達人の手にかかると手作りDIY家具を筆頭に格安でオシャレでスッキリした部屋に様変わりしていました。


テレビを観ていると、とても簡単そうに見えました。そこで私は、さっそくまねをしたわけです。ホームセンターに行き、すのこを買ったりSPF材を買いました。カットはホームセンターでやってくれるので「簡単!」なんて思っていました。ところが・・実際に作った経験のある方ならわかると思います。一見、簡単に見えるDIYですが、木材とは微妙に曲がっていたり、厚みに違いがあります。なので計算したようにはいかないのです。その辺はプロであれば難なくこなすところなのでしょう。けれども、いざ、木材を目の前にして、組み立てる段階になるとわずかな誤差に大いに悩まされることになります。


それでも、買ってしまったのだからと無理をして完成させます。ところが、使ううちに蝶番がゆるんできたり、ねじがはずれたり、手作り家具がグラグラと揺れて不安定この上ないのです。こんな状態の物、とてもじゃないけれど引っ越しで運ぶ事など無理です。移動しようとすれば、とたんにゆがんで崩れるのは明白でした。そんなわけで、テレビの影響でまねをしてチャレンジしてみた手作りDIY家具は引っ越しの時には真っ先に処分対象になったのでした。それからこうした手作り家具は仕上げのペイントもくせ者でした。下地が見えなくなるほど色を重ねるには相当たくさんの量のペンキが必要です。


結果として「お金を掛けずに」作るつもりが既製品を買うよりも高く付きました。既製品なら引っ越しの時にゆがむことはありませんが、私の手作りDIY家具はちょっと動かせばゆがんで使い物になりません。結局、おそろしく高くついた家具でした。依頼、家具などは無理に手作りを仕様と思わず素直に既製品を買うことにしています。器用な方であれば私のようなことはないのかもしれませんけど。


下手ながらも何度もチャレンジしてうまくなる・・まで私はDIYに再チャレンジするエネルギーはありませんでした。このように、自分の力量を越えている分野に関しては、無理をしない事も大事だと思い知りました。もちろん、がんばって再チャレンジするのも良いのですが、物には限度がありプロに任せた方が良いこともあります。

このように、自分の力量を越えた事に手を出すと思わぬゴミを生み出してしまうことがあります。DIYはテレビでは簡単そうに見えますが注意が必要です。(最近は見かけませんが。)




2014/09/15

「嫁入り道具」は全部処分スミ。

結婚したときには、婚礼ダンス以外にも、いろいろ物を買いました。



・食器棚(幅120×高さ180)
・サイドボード(幅120×高さ90)
・こたつテーブル(110×80)
・冷蔵庫220L
・洗濯機
・布団2組
・米びつ兼レンジ台
・食器多数
・タオル、日用品多数
・カメラ


これ以外の家電などはお祝いで頂きました。さて、現在ですが、結婚当時買った家財は一つも残っていません。

補足
(記事を公開したあとに誤解を招きそうなタイトルかもしれないと気付いたので補足します。結婚当時に買いそろえた家財は今ありませんが、買い換えで何かしらの家財は持っています。ただし、数を減らしたり、サイズダウンしたり、シンプルなデザインのものに変化しています。)

買い物をしたのは実家の母です。カメラや靴磨き、靴べら、タオル、カトラリーの果てまで用意されました。オットの実家で「家財はうちが用意する」と言っていたのです。けれども母は全て用意しました。

と言っても、実は費用は私持ちです。

私の嫁入り道具なのだから当然という事でした。矛盾していますが、母には見栄のような気持ちがあったようです。


家具、家電だけでもそれなりの金額です。ところが、それ以外の細かい日用品、食器、タオル、靴磨きの果てまで母が買いそろえていました。結納金はタンスの購入で消えました。今にして思えばあり得ないのですが、当時は疑問を抱くことがありませんでした。それどころか仕事が忙しくて買う暇がないから母が代わりに買ってきてくれてありがたい・・くらいに思っていたのです。

当時、母は「娘の結婚準備の買い物」という名目で連日のように「あー忙しい」と言いながら買い物に出かけていました。


結婚後、しばらくすると、ようやく好みや物の適正量を自覚するようになります。引っ越しの度にこれらは処分されていき、このときに買ったもので残っているものはタオル一枚ありません。


結婚をして親と別に暮らし、自分が家事の主導権を握らなければ、このような事がおかしいということに一生気づかなかったかもしれません。そういう意味で、結婚をするとは私に限ったことですが本当の意味で大人になり、精神的にも親離れをすることだったと思います。


食器棚、サイドボード、こたつテーブルは、婚礼家具を処分する以前に、処分しました。引っ越しのときに業者さんに相談したところ、引き取ってもらうことができました。なぜか別料金も請求されませんでした。表向き、そういう業務は当時なかったと記憶していますが、相談してみると案外何とかなることもあるみたいです。


冷蔵庫、洗濯機は、最後まで使いましたが、現在の住まいで買い換えの時に処分しました。

レンジ台は引っ越しの時に行政のゴミ処理センターに車で持ち込みました。

布団は、子供が小さい時に、かなり汚したので買い換えでゴミ処理センターに持ち込みました。

食器や、2個もあれば済むのに5個くらいずつのザルやボウルは地道に処分しました。全て、母の物の数の価値観で買いそろえられたので、妙に同じようなものがたくさんありました。結婚するまでは母親のこうした価値観に疑問を抱くことはありませんでした。結婚後、あらためて家族を含めての最善を自分なりに考えると多すぎる物は優先すべき事ではないと実感するようになりました。


私の場合は、オットの転勤により何度も住まいが変わりました。そのせいか、戸建てか集合住宅かとか、住まいそのものが新築か築浅か古いかだとか広いか狭いかとか、間取りが良いという条件は、住みやすさとは、あまり直接は関係ないのだと実感するに至りました。


どんなに住まいの条件が整っていても、住まう人の住まい方次第だという現実です。


人を呼んだときに立派な食器棚がないととか、飾るためだけのサイドボード(なんて今はないですが)なんて、一番無駄だったと思います。食器棚も、家族3人なら、その半分もあれば十分でした。

これまでは割と大事に保管していても、いざ引っ越しとなると、急に見方が変わったりするので不思議です。捨てても問題ないと思えるようになるのです。物をいったん移動してみるのは物の見直しに必要なことのようです。


多すぎる食器も、そんなには必要ありませんでした。

結婚は、とかく当人以外の思惑が入り込みます。最近は、そんなこともあまりないのかもしれませんが、当時は大変だったなあと思います。

特に見栄の張り合いのような感情が物を増やし巨大化します。これは普段の生活でも根本は同じです。特に、女性同士の見栄が一番怖いのです。母の場合は姑に対する見栄が大きかったのだと思います。

生活はプラスからスタートすると、結局、その処分に追われます。マイナスの「何もない」状態からスタートした方が断然快適なはずです。結婚時に買った物を全て処分しきるまでには何年もかかりました。ざっくり10年はかかったと思います。物はゼロからスタートして「ないと困る」物だけを残すのが最善です。





2014/09/14

婚礼家具は処分した。

婚礼ダンスを処分したいけれど、大きい。親に申し訳ない。当時、そんな風に思い、随分迷いました。第一に処分をする前に一言親に断わる必要があるとも考えました。でも、相談した結果「NO」と言われたらどうしよう。そう思うとなかなか切り出せなかったのです。引っ越しの節目の度に迷いました。


引っ越しのときに、大変だったのは婚礼ダンスを置くために物件が限られてしまうという現実でした。私が結婚したのは、婚礼ダンスを買うのが当然だった最後の世代なのかもしれません。友人でも、2,3年後以降に結婚した人では婚礼ダンスを買った人は皆無です。というのは、そもそも、最近の住宅ははじめからクローゼットが設けられているからです。


あるとき、思い切って親に言いました。「引っ越しの度に婚礼ダンスがあると物件も限られるし、地震があると不安を感じるようになった。処分したいのだが、ダメだろうか。」と。親の答えは、「処分しても良い。」ということでした。こちらの事情を理解してもらえました。

で、それは良いとして次は具体的にどうやって処分するか・・です。一番良いのは、リサイクル店に引き取ってもらうことです。でも、今時、婚礼ダンスなんて買う人がいないだろうし、無理かな・・と思いつつダメ元で一件目に電話をしました。8年前くらいのことです。


1件目リサイクル店の回答(地元リサイクル店)

「婚礼ダンスは、引き取っておりません。無料でも不可です。今、あまり売れるものではなく、店の保管スペースが限られているからです。」


2件目リサイクル店の回答(大手リサイクル店)

「一階の部屋に下ろしてあるなら引き取り可能です。(だいたいのサイズと仕様、不具合、故障、傷などの程度を聞かれる)」

・・というわけで、2件目の店舗に即、お願いをしました。
このときは、引っ越し直前でしたが、当時の住まいは一戸建てで、二階に置いてありました。そこで、オットと実家の父とで一階に下ろす作業をしました。(分解し、運びました。)そして一階の玄関近くの部屋にスタンバイ。約束の日に、リサイクル店の方が二人でワゴン車で訪れました。見積もりの結果は買い取り価格3000円でした。持って行ってもらえるだけでも御の字でしたので良かったです。ついでに、他の不要家具も買い取ってもらいました。(二人がけソファ6000円、こたつテーブル100円、ベビーチェア500円など)ワゴン車で訪れたので、入るの?と思ったら、二往復して持って行ってくれました。


このとき処分をして本当に良かったと思っています。


実家の父母が、そのあと引き取ってもらったリサイクル店に行くと、このタンスが展示されており、2週間後くらいには売れてなくなっていたそうです。


リサイクル店も、店によって引き取り可能だったり不可能だったりするんですね。当然ですが。当時は運良く2件目で見つかりましたが、数件あたってみると良いみたいですね。


もし、どこのリサイクル店も引き取り不可能ならば分解して行政のゴミ収集所に運ぶしかないなと考えていました。(粗大ゴミとして引き取ってくれる例もありますが、引っ越しを控えていたので不可能でした)今は引っ越し業者さんが粗大ゴミの引き取りや買い取りもしていますね。当時はまだ主流でなく本当に大変でした。


結婚するときに、少ないものでスタートするのが今風ですよね。うらやましいです。でも当時は「いかに持っているか。」を示すのが良い・・みたいな雰囲気がありました。時代の流れですね。買うのは簡単です。けれども処分をするのは10倍くらいのエネルギーが必要です。大きい家具を持っていると住む物件も限られるし、搬入経路も吟味しなくてはいけません。フットワークが悪くなります。物は暮らしをサポートしてくれますが、多すぎると足かせになりますね。大きい物ほど、買う時には処分するときのことを考えて買った方が良いです。




2014/09/13

結婚式の写真は全捨て。

昨年あたりだったか、結婚式の写真やグッズは全部捨てました。


・結婚式の写真(写真屋さんが撮影した写真)、スナップ写真

・ビデオテープ(当時はビデオテープでした)


ちなみに・・

キャンドルサービス(今もやってるんでしょうか・・)のばかでかいキャンドルは、結婚3年目に捨てました。
祝電も動揺


子供が小さい時は、子供が結婚式のビデオテープを観て喜んだりしていたので、それなりに観る機会がありました。けれどもさすがに、それはもうありません。写真も同じです。


と言っても写真屋さんが撮影した物まで捨てるなんてもしや・・なんて思われそうですが、それはありません。私の結婚式の写真とビデオテープはオットの実家、私の実家にもあります。おそらく、処分はしないはずです。なので、どうしても観たい時・・なんてないでしょうが、場合によっては実家で観ればいいし・・ということで処分してしまいました。


どの道、保管していても見る事はありませんので。写真を保管しなくても、それぞれ本人がいます。写真は必要ないのです。まあ、確かに若いときの方が見栄えがマシかもしれませんが。けれども、穴の空くほど見ても若さが戻るわけでもなし。


それよりも最近になって、この結婚式関連の衣装というのが おそろしくバカバカしいもので滑稽であるような気がするようになったのでした。(オットは昔から写真とかそういうものに、ま~~~ったく興味がない人なので独断で処分してもOKでした。)


そういえば、今はそんなんでもないのでしょうけれど、当時はバカバカしいくらい記念グッズがたくさんありました。その筆頭がキャンドルサービスのばかでかいキャンドルです。これは結婚3年目に燃えるゴミに出しました。


祝電も、ありがたく感謝して同様です。


前にも書いたかもしれませんが、婚礼ダンスセットやその他の大型家具、買い揃えた食器、日用品の数々・・これらもほとんど処分して今はありません。

結婚前にオットと出かけた先々のチケットとか、いろんなものも全部捨てました。


いずれも良い思い出品ですし、見れば「ときめき」ます。それでも捨てました。理由は、肝心の本人と一緒に暮らしているんだから思い出品は必要ない。という考えです。もちろん、結婚後もどこかに出かけた直後は、しばらく保管したりもします。けれども、ある程度期間が経過するとだいたい気が済みます。で、結局要らなくなって捨てています。


今だったら、写真を撮ってネット上に保管するという手もあるんでしょうけれど、いずれにしても「持っている」事に変りはないでしょうね。というわけで、今も、基本、即、処分していることが多いです。はっきり言って、キリがないですからね。


「ときめく」ものでも思い切って手放した方が良いこともあります。




2014/09/12

挫折した学習もの、趣味品は全捨て。

「主婦が、家事の合間に学習にチャレンジする。」資格取得とか、語学系とか、趣味系とか、いろいろありますが恥ずかしながら私も例外ではありません。「結局、挫折したり飽きて中断したもの」があります。悩むのは、これらの教材をどうするか・・です。「また、始めるかも知れない。」「もう、チャレンジしないかもしれない。」その狭間に揺れ動きます。そして捨てようか、保管しようかと戻したり出したりの繰り返し。



私は、ものを減らし始めてから、こうした挫折した学習ものには、ある目安を設けました。それは「その時点で、今、やる気がないのであれば処分する。」事です。期限は設けません。


「でも、また始めたくなったとき、買い直すのはお金がもったいないのでは?」多分、捨てるのをためらうのはそういうことです。あとは「目の前にあれば、また始めるかも知れないけれど、なくなってしまうとその可能性もなくなりそう。」と思うのです。でも、本当は自分はそんなに勤勉ではないことはわかっているのです。挫折した挙げ句に、教材の購入費用をも無駄にした主婦失格の自分・・そんな気持ちを認めたくないので捨てるのをためらいます。


ここは、いさぎよく認めてしまいましょう。ダメな自分を。まずは「今」やる気がないのなら即、捨てる。「売ろう」とか思っていると、(本当に、すぐ売れるならそれも良いのですが)またずるずるとその辺に置いているうちに判断が鈍ります。


「また、はじめたくなったら?」本は、定番ものの良い物もありますが、改正、訂正が入ることもあります。一見、短いサイクルでは改正がないものも、出版社も日々、見直しをしていると思うのでなるべく最新のものを買った方が良いのです。だから、もし始めたくなったら、その時点で買い直せば良いのです。


「また、始めたくなったときに、もう一度買うお金がもったいない。買うお金が足りないかも。」と思わずに「買いたいときには自分には十分なお金を得ているはず。」と未来の自分を信じる気持ちを持った方が良いのです。


 
2014/09/05

バランス悪くモノを持とう。

バランス。


これが理想だと、いろんな分野で言われています。けれども、私が心引かれるのは、バランス良く配置されたモデルルームのような部屋ではありません。または、ファッション雑誌から飛び出したような洗練されたファッションでもなく、どれをとっても非の打ち所のないようなスキのない人でもありません。


部屋においては、たとえば極端な雰囲気のあるものに惹かれます。たとえば洋服の数は、極端に少ないのに本がいっぱいある部屋とか、部屋はとても狭いのに、台所にたくさんの調味料や調理器具が並んだ部屋とか、今、流行スタイルの部屋ではないけれど、ひとつひとつ「これは何?」と質問したくなる絵がたくさん飾ってある部屋とかです。つまり、ある特定の分野にモノが偏っているような部屋。そんなバランスの悪いありように心惹かれます。オシャレにしてもバランスが大事とよく言われています。確かにそうなんだろうけれど、無難だけれどおもしろくありません。



思うに、少し前までは「万人受けする」ことがモノの持ち方にしても、インテリアにしてもオシャレにしても生き方にしても共通の目標だったのではないでしょうか。極端なことを言えば、「バランスの良い人」とは「万人受け」する人のことです。対人関係で悩んで身体を壊したり家族に良くない影響を与えるのは、常にバランスの良い人であろうと気負いすぎるから。大人ですから、それを表面に出さずに内面は自分流を貫いていれば良いだけです。常に誰からでもよく思われようとするのは所詮無理な話。それはモノの持ち方もそうです。誰しも得意分野と不得意分野があります。



ここ最近は、じわりじわりと変化しています。ゆっくりなようでいて、実は早い流れです。多分、「みんな同じ」「他人から褒められること」が目標の時代は終わろうとしています。



バランスといえば食事にしてもそうです。数年前は「一日30品目をバランス良く食べること」が目標とされていました。けれども、いつの間にかそんなことを推奨する話を聞かなくなっています。


その代わり糖質制限、炭水化物抜きダイエット・・のように、いわばバランスの良くない方法が注目されていたりします。そもそも、一年中、30品目もの食品を手に入れることができるようになったのは、きっとここ数十年で戦後以降のことでしょう。なので少し考えれば「バランス」とは実は不自然なことでもあると気がつかないわけにいきません。


モノを減らす事も同じです。


全ての分野を減らす必要はありません。



自分にとって、たくさん必要なモノと、少しのモノでもよいもの。これは各自、必要数が違って当たり前です。









2014/08/30

「お気に入り」はない。

考えてみれば、私には特に「お気に入り」の物と強く実感するものはありません。



なぜなら、物は物以上でないと思うからでしょうか。それから、どんなに見た目が良くなくて妥協して使っている物でも自分の暮らしを支えてくれる物であることに違いはありません。



もちろん、ほどほど「使いやすいなあ」とか「まあまあ好き」と思うものはあります。「買って良かった。」と思う物もあります。けれども、そこまで・・ですね。



たとえば、洋服の取捨選択をしているとき、「好き」ってわけではないけれど、必要な服って、必ずありますよね。たとえばフォーマル用の服とか。それから、本当は、カジュアルな服で365日暮らしたいと思っても、現実は無理です。子供の学校に行かなければならなかったり、何らかのお祝いの席に出席したり、仕事で着る服などもそうです。



そういうときは「お気に入り」も何もありません。客観的な視点のみです。物は、時として自分のために使うとは限りません。


物には2種類あります。




①自分のために使う物

②自分以外のために使う物




①に限っては「お気に入り」を貫けば良いですが、②はたとえ着るのが自分でも相手がある場に着ていくような服も含みます。そういうものは、お気に入りを優先してはいけません。




自分ひとりで生きている人は皆無です。だから、「お気に入り」にとらわれない事が大事です。



もちろん、お気に入りだろうが、そうでなかろうが自分が買った物は大切に使います。けれども、たとえ物であっても「お気に入り」を強く意識することはなかったなあ・・と改めて思います。



たとえ物でも普段から、あまりに「お気に入り」と「嫌いな物」を明確にしすぎることは、その習慣がそのまま人との関係にも表れると思うのです。


考えてみれば、子供は好き嫌いがはっきりしています。ところが、成長するうちに、妥協できるようになります。食べ物の好みから始まり、洋服の好み、小物の好み、人の好み・・子供はこの区分けが明確です。けれども、好き嫌いの差を他人に感じさせない人ほど、紳士、淑女であり、上品な人と写り、それが暮らしぶりの余裕を感じさせます。けれども、好き嫌いの差を周囲に感じさせてしまう人は子供っぽく写ります。もちろん、本当は好き嫌いがあっても、大人はその存在を認める余裕はあります。

けれども、最近の傾向は、どうも好き嫌いを明確にして、嫌いを排除する傾向が多いですね。それは何となく大人げないと思うのです。ミニマム志向になろうとすると、どうしても好き、嫌いを意識せざるを得ないように錯覚しそうになります。物を厳選するのは好き嫌いではなく必要か必要でないかなのです。




2014/08/25

アクセサリーは、これだけ。

普段、アクセサリーって、どのくらい使っていますか?



私は、最近は全く使うことがありません。



10年ほど前からは、結婚指輪すらしなくなりました。
(実家の母からは、「未婚と思われるから付けなさい。」と忠告されています。)



一度、アクセサリーを使うのをやめると、もう以前には戻れません。


アクセサリーって、ないとダメですかね?


使わないので、数年前に、一部をのぞき、ほとんどのアクセサリーは、リサイクル店に売ってしまいました。


今、手元にあるのは、パールのネックレスとイヤリング、

あくせ2


結婚指輪と婚約指輪・・くらいのものです。



このうち、パールは冠婚葬祭や行事で、たまに使います。
けれども、結婚指輪も、婚約指輪も出番なしです。


実は結婚指輪をしなくなったのは、ちょっとした笑っちゃうアクシデントがきっかけなのです。なぜか、結婚指輪をはめた指を引き戸に挟んでしまい、ちょうと指輪の位置に当たり変形してしまったのです。

今にして思えば、指輪のおかげで大事に至らなかったとも言えます。でも、変形した指輪を修理に出すのも面倒で外したまま放置してしまったのでした。

いったん、指輪を外したら楽ちんなのです。私が外したらオットも外しました。




結婚するときは、母の強いすすめで訪問着(着物の)とか、買わされましたが(自腹)訪問着なんて、結局ほとんど着る機会がなくて無駄でした。訪問着を買うくらいならパール3点セットにすれば良かったです。つくづく買い物の要領が悪かったと思います。


それから、なぜか婚約指輪はダイヤ!みたいな雰囲気がありますよね。これも当時、何も考えず、世間の慣習にのって選んでしまいました。



(パールのネックレスは、結婚してから家計費で買ったものです。)余談ですが、これから結婚する方は何か頂く場合はダイヤより、パールの方が断然実用的ですよ。(ネックレス、指輪、イヤリング)多分、結婚してから家計費の一部で買うよりも予算が多いでしょうからその分、良い物を選べます。


私が結婚をしたのは、まだバブルの名残があったので婚礼ダンスセットも買いました。これも数年前に処分してありません。様々な大型家具も買いましたが、ほとんど処分してありません。


結婚した時に、随分いろんなものを買いました。当時は結婚時に買うものは実家が嫁ぎ先に「見せるため」の意味もあったのです。

随分、無駄な事をしたと思います。でも、時代の価値観がそうなのでやむを得ませんでした。

随分、お金を使ったのに結婚後 間もなく何度か必要になったパールのネックレスは持っていませんでした。初めは若さで許容されるだろうとフェイクで間に合わせました。でも、ほどなく、それでは済まなくなりました。

こうしてみると、女性とミニマムって案外相性が良くないですね。
女性らしさを表現するものって、何かをプラスする物が多いですから。


リボン、フリル、レース、柄、
アクセサリー、
化粧、
ウェーヴがかかったヘアスタイル・・・・




そういえば、化粧はともかく、私はそれ以外は全部苦手かな。
でも、そうすると、女性らしさがなくなってしまいますね。



以前、何かで読んだのですが、ミッキーマウスとミニーマウスの顔の違いって
「まつげ」だけなんだそうです。


女性を表現することって、つくづく何かをプラスすること・・なのね~と
感慨深いです。






2014/08/22

子供と「フツー」の狭間のミニマムライフ

子持ちファミリーがミニマムライフを実行しようとすると、大きくはだかるハードルがあります。それは、大人である親の価値観と、子供を通して関わる一般的な物の持ち方には大きなズレがあるからです。



なんだかんだ言って、世間はまだ「フツー」に物を持っています。当然、学校から指示される持ち物などにも、それが反映されます。


今回の話は「子供がいるから物が減らせない」とか「子供がいるから片付かない」という話とは全く別の話です。

さて、子供が友達と関わる事でもそれは実感します。子供の友達の家庭の多くも、「フツー」に物をたくさん持っています。

極端に物を少なくした家庭では、子供が一歩外の世界に出たときのギャップによる戸惑いも想定できます。だから、子供が関わる物は一般的な量にしています。



たとえば、こんなことがありました。学校から林間学校の持ち物に「バスタオル」と書いてあったのです。持ち物は忘れ物があると困るので前日に学校に持参してチェックするといいます。子供が使うようなものは「フツー」に徹しているつもりでしたが「バスタオル」には「やられた!」と思いました。

というのも、我が家では、何年もバスタオルは持たずにフェイスタオルのみで生活していたからです。

さて、どうするか。バスタオルを持参する目的は、単にお風呂上がりに身体を拭くための物です。他の用途の目的はないようです。だから、フェイスタオルでも本来かまわない。大人だったら「私はこれで間に合うから。」と言い切って、使うことができます。

けれども、子供はどうだろう?「誰に迷惑掛けるわけでもないのだから、フェイスタオルでいいんだもん!」と、フェイスタオルで強行突破(?)させるか?いや、子供同士のことだから、ほんの些細なことでどんなトラブルがあるかもしれやしない。バスタオルごときで?大人の世界ならあり得ませんが、子供の世界はちょっとした「違い」が何を引き起こすかわからないものがあります。

それより以前に、持ち物に「バスタオル」と書いてあるのに、バスタオルを拒否(?)してフェイルタオルを持って行くことは「忘れ物」扱いになりやしないか?先生もいろいろだから「例外」は認めてもらえないかもしれない。(バスタオルごときでも)

かといって、わざわざ電話をして「バスタオルではなくフェイスタオルではだめでしょうか?」と質問をしたとする。すると電話を受けた先生は「???バスタオルがないのか???」と思うだろう。そういうとき「いや、うちは余計な物を排除するためにバスタオルではなくてフェイスタオルで身体を拭くんです。全然支障ないんですよ~ホホホ(と言うかわからないけど)と言うわけで、別にバスタオルを買えないとかそういうんじゃなくて、とにかくないんです。このためにわざわざバスタオルを買わなくちゃいけませんか?」なんて聞くのも・・。

で、少し迷った結果「このため」にバスタオルを1枚買いましたよ。結局。



・・と、バスタオル一枚のことで長々と書いてしまいましたが、要は、全てがこの調子だということです。カップ麺の空容器とか、イチゴのパックとか、ペットボトル容器とか、何かのお菓子の箱とか、そういうものを我が家ではとっとと捨てることにしたような物を、突然「明日持ってくるように。」と言う先生もいましたっけ・・。

その先生はたまたまで、全く悪気がないのはわかるんです。わざわざ買って用意しなくても(と先生が思っている)良い物をセレクトしているのですから。「本当に、明日もってきていって今日言われたの??」子供がもしかしたら言い忘れて、怒られるのがイヤで「明日もってきて」と言われたのではないかと ほんの少し疑ってみたり。(後に親同士の話で嘘ではないとかわった)とにかく、そういうときは、夜、コンビニに走ったり。そういう傾向のある担任の先生のときには、空き容器とか、おそろしくてスッパリ捨ててしまうことができませんでした。


また、あるときは新聞を取っていない時期のことです。「新聞紙を3日分」持ってくるように。と言うのです。そのときもコンビニに行って3日分(3紙とか)買ってきたり。


学校関連だけではありません。子供同士のやりとりもそうですね。まあ、いろいろあります。とにかく、子供とミニマムライフというのは非常に相性が良くないです。


子供目線では「持っていること」よりも「持っていないこと」のリスクが大きいんですね。なかなかデリケートな問題です。私は、本当はもっといろんな物を減らして行きたいのです。けれども、それでは子供が絡む「フツー」から脱してしまいます。すると「違和感のある変わった家庭」と見られて良いことは何もないのです。大人はそれでかまいませんが、子供にそれを良くない意味で影響させることはできません。


物を減らすとは言っても、子育て中ファミリーは、ほどほど「フツー」を越えない事が前提かもしれません。






2014/08/16

冷蔵庫の中身は、ここまで使い切ってから買い物へ。

今日は、食品の買い出しをします。と言っても、あまりに暑いのでネットスーパーに注文を入れました。ちなみに、これが、食品を買い足す直前の冷蔵庫です。


れいぞうこ2

ドアポケットには、それなりに入っています。


何もなくなった状態なので、冷蔵庫内をきれいにするのも簡単です。最近使っているのは、100円ショップで買った(セリアだったかな?)日本製の除菌スプレーです。内部や表面の取っ手など、その他気になる箇所に使っています。この商品「除菌、消臭ミスト 『アルコールでは除去できない強い菌やウィルスに対応』」と書いてあります。サイズが小さいので、外出に持って行くにも良さそうです。


れいぞうこ1


冷凍庫の中は、

鶏肉
豚肉
イカ

がわずかに入っているだけです。


後は保冷剤と氷ですね。


野菜室は

米少々と
大豆が少々です。

たまに、食べきれなかったものを冷凍することがあっても、1週間を経過したら処分してしまいます。食べ残しの冷蔵は、当日食べなかったら処分します。

調味料は、一ヶ月に一回くらいはチェックして、その時点で半端な物は処分してしまいます。

飲料は、1リットルのピッチャーにお茶と麦茶をそれぞれ入れてあります。以前は2リットルを使っていましたが、持ったときに重いのと、洗うのが大変なのでサイズダウンしました。

お盆休みで家族全員が家にいるときは、一日に何度か作り直さなくてはいけません。けれども、その方がこまめに水を交換することになるので衛生的で良いのではないかと思います。






2014/08/09

無理なママ友づきあいが物を増やす

小学校から大学の間、学校生活においては その人の成績か、スポーツの出来具合が良い人が、何らかの集まりでリーダー的役割を担う事が多いですよね。

そういう立場にある人は、いつもそういう役割を担う事が多いので、内心「面倒だな。」と思っても、どこかボランティア精神に近い心境と、慣れ(いつもその手の役割をさせられることが多いので)でこなしているのだと思います。


一概に言えませんが、学生の間は、「それなり」の人がリーダー、つまりはボス的存在になることが多い物でした。こういう人は、学校がメインステージですから、優等生的立場のもと、常に公平さと謙虚な態度が必須だと自覚していたように思います。


社会人においても、基本的に似たようなケースだったと思います。その会社の部署で、経験が長く、それなりの成果を出している人がボス的立場を担います。



ところが、これらの「常識」が覆されてしまうのがママ友のグループです。


ここでボス的存在になるためには、本人の強い意志がなくては始まりません。「我こそがこの集団のボス」。そういう本人の強い意志とやる気があってこそのボスなのです。ママ友のボスになるのには学校の成績も、スポーツの出来も、仕事の実績も経験も、一切不要です。


そこにあるのは「私がボス」という自覚のみです。


こういう人は、良い方に考えれば、まとめ役として良いこともあります。複数の人間が集まっているとき、学生ならば、何となく成績の良い○○さんの意見なら最適だろうと言うような、暗黙の了解のもと、決まることが多いのですが、ママ友となれば、そういうことは一切わかりません。だから、半ば強引に「こうしましょう。ああしましょう。」と提案してバッサバッサと決めてくれる人が集団に一人いると効率が良いのは事実です。


ところが、この「バッサバッサと決めてくれる人」が、学生時代の生徒会長タイプとは限りません。生徒会長タイプの人は、自分は二の次というようなボランティア精神があります。それに比べてママ友の時点で発生したボスほやほやのママは、「我の強さ」「押しの強さ」「自分に同調してくれる人」が一番大事です。


生徒会長タイプと大きく違うのは、おそらくどこか劣等感があることでしょう。だから、バッサバッサといろんな事を決めつつも、実は「本当にこれでみんなが満足しているんだろうか。」と、常に不安を抱いているのです。それでたまたまみんなが同調してくれれば良いのです。ところが、たまたま誰かが欠席したとか、ひとりだけ、ボスママが提案したことに同調しなかったとなると、その不安はMAXになるのです。生徒会長タイプであれば、その事実を受け流せますが、ママ友から初めて発生したボスママは、何せリーダー慣れしていません。だから、その不安を自分が反省したり考え直す事に向けず、「相手が悪いのだ。」という方に考えを曲げてしまい、自分の不安を消す努力をはじめます。


自分ひとりでは不安ですから、周りを巻き込みます。これが、ママ友独特の世界のからくりです。つまり、「困ったボスママ」は、実はかなりの小心者なのです。小心者が故に、ちょっと誰かが欠席した、同じ物を注文しなかった、というささいなことで不安になる裏返しで困った行動をとってしまうのです。


小さい魚は、1匹では生きていけません。そこで、実際よりも大きく見せて自分の身を守る工夫をします。集団で行動することで、大きな魚がいると思わせて一緒に身を守るのです。


ママ友集団に「無理して」くっついている集団は、この「本当は限りなく弱いから身を守るために集団で行動する小さい魚」と似ています。ボスママと言っても、せいぜい、その程度です。


本当は、ボスママに関わらないためには、最初が肝心です。はじめからママ友集団には属さないのが一番です。その代わりあいさつなどの基本原則はしっかりします。もし、そんなことはできない。と思うなら、属するしかないでしょう。属してしまえば、自分がボスになるか、ボスに従うかの二択です。「ボスになんてなれない。」と思うなら、徹底して従うしかないかもしれませんね。ママ友グループに属したいけれど、従うのはいやとなれば、自分の立場が難しくなります。



ママ友グループがいやならば、はじめから関わらない。その交わり、「ひとりは寂しい」とか「ひとりはみじめ」という妙な価値観を持たないこと。常にしゃんとして、パキパキと行動して、さばさばと挨拶だけしていれば良いのです。


どれをとってもリスクはあります。選択するのは自分です。どれを選択してもそのリスクは自分が選んだ物だと自覚して割り切ることです。びくびく不安げな様子を見せるのが一番良くありません。


新規オープンしたお店などに多くの女性が来ていることがあります。そういうとき、女性は一人で来る人が本当に少ないですね。買い物は、一人で来た方がじっくり見られるのですが、たいていは2人以上でぺちゃくちゃわいわいとおしゃべりしながら買い物を楽しんでいます。一人より二人、二人より3人、3人より4人・・と、特に女性は人数が増えるほどに力関係がアップしていくような錯覚を覚える事が多いようですね。


つまり、少人数や一人は不利だとわかっているから、無理をしても複数で行動するのです。複数の人たちを一人一人にばらしてしまえば、多分新規オープンの店に買い物に来ることすらないのかもしれません。一人では不安だからです。


もともと、女性は腕力も弱いので、これは本能のなせる技かもしれません。けれども、複数で行動する必要が必ずしもないところでさえ、集団でしか行動しないのでは、「自分」の価値観が定まりません。


自分の価値観が定まらないことは、物の持ち方も定まらないことです。先日も触れましたが、物の持ち方にはその人の交友関係も反映されています。常に、誰かと一緒に行動しないとだめなようなライフスタイルだと、CMで、雑誌で、お店で・・「これが良いですよ。」と言われると「そうですね。」と、安易に同調してしまうので、物もすぐ増えるのです。




(ママ友グループの全てが問題を抱えているとは限りません。場合によっては生徒会長タイプでボランティア精神があり、器の大きい人が運良くおさまってくれている場合もあるでしょう。)



2014/08/08

最適でない友人関係が物を増やす。

女性が物を買うのはストレス解消!の意味合いがあるのは誰しも心当たりがあることでしょう。


かなり前のことです。
学生時代の友人が、当時1歳くらいの子供を連れて遊びに来ました。


その頃はマザーズバッグにリュックを背負うのが流行っていた時代です。
友人は、「夫にプラダのリュックを買いたいんだけど・・といったら『え~あれ、ナイロンなのに7万するよね。』と、YESと言ってくれない。」と嘆いています。確かに、当時若いママがプラダのリュックを背負っているのは珍しい光景ではありませんでした。


でも、友人は、リュックを背負っているんです。「今持っているのじゃだめなの?」と聞くと「これは無印。」と言って黙り込みます。話を聞けば、よく交流をしているママ友グループの多くが「みんな」プラダのリュックを背負ってくるのだそうです。


別に、プラダのリュックだろうが、無印だろうが、機能を満たしてさえいれば、それぞれの勝手だと思います。けれども、友人は、どうしてもプラダのリュックにこだわっているようでした。

その他にも「サークルのママ友はみんな母乳を飲ませているから、紅茶やコーヒーは絶対に飲まない。」というように、何かに付けママ友の価値観にがんじがらめになっていて苦しそうでした。(カフェインは摂取しないというようなことは有益な情報だと思います。)


実際は一緒に過ごすことで有益な情報を得る機会が多かったり、楽しい時も多いのでしょうが、場合によっては、金銭的に無理をしていたり、「みんなが持っているから」という理由で高価なものを「買わなくては」という思いにがんじがらめになっていたり(友人の場合は経済的に買えないのではなく、ダンナ様が「それに7万出す価値が見いだせないということで反対されているのでした)と、物の持ち方に、交友関係が影響することが大いにあるのだと思った出来事でした。


一人で決めるのは自信がない。
みんなが良いと言っているから買う。
みんなに褒められそうだから買う。


こういうジレンマで買った物が家の中にないでしょうか。
もし、あるとしたら、物を増やしているのは自分の交友関係にも原因があるかもしれません。


子供がいると、なかなか避けるわけにも行かないのが難しいところですよね。
でも、今は長く感じても、子供がからんだ交流は、必ず終わりが来ます。


そのときに、無理に合わせていた価値観を自分に残さないようにしたいものです。


女性が複数で行動していてもほほえましく見えるのは、せいぜい20代までです。
たいていは既婚女性が、集団で話していると、いわゆる「かしまし」く写ります。

近所でも、幼稚園の送り迎えの途中に複数が立ち止まって話しをしているときは
何となく誰かのワルクチでも言っているのか無関係の通りすがりの人間にもいや~な空気を発していることがあります。でも、当人は全く気づいていないのですよね。

客観的にこういうのは、本当に品がないので気をつけたいですね。

品というのは、見た目のファッションやヘアスタイルや、持ち物だけで決まるのではありません。年を重ねるほどに、その人の人格のようなものが黙って立っていてもにじみ出ます。日頃の考え方に「品」がでます。

物の持ち方も、選び方もそれが反映されることがあるので今一度、身の回りのものを見直して行きたいと思います。








2014/08/07

「お気に入り」ばかりじゃなくても物は減らせる。

一般に「お気に入り」を持つことで少ない物でも暮らせると言われています。
でも、裏を返せば疑問に思うことはないでしょうか。




「お気に入り」じゃないと少ない物で暮らせないの?・・と。




たとえ、お気に入りではなくても、何となく使い慣れていて使いやすい物ってありますよね。
それを妥協して長く使うことは十分アリだと思っています。



たとえば、過去に大流行したル・クルーゼの鍋を例にあげます。
確かに見た目が良く、じんわりと火が通るので煮物も美味しく仕上がります。


けれども、実際の使い勝手は正直大変でした。
重いからです。


けれども、お値段も高いので、がんばって10年くらい使いました。
そのうち、内側がはげてきたので、処分しました。


代わりに、ちょうどほぼ同じサイズだった(奇跡的)無印の白いホーロー両手鍋を買いました。
軽いし薄いので、焦げ付きなどを心配していましたが、結果は○でした。



「お気に入り」というと、高品質で雑貨の雑誌に掲載されているような高価な物のイメージがあります。
けれども、それらは実際のところ、プロの料理人や達人には使いこなせても一般家庭の女性には扱いにくい物であることが多いようです。


何でもプロや達人が使っているものが自分にとって良い物とは限りません。
デザインもそうです。


有名メーカーの雑貨ばかりがオシャレ雑貨ではありません。
たとえ、妥協して使っていても、オシャレじゃなくても、無名品でも「使いやすい」というだけで、立派な「お気に入り」といえるのではないでしょうか。


最近の私の「お気に入り」の基準は、「軽いこと」です。
本当は、高品質のものは、やたら重い物が多いのです。


家具でもバッグでも小物でも服でも食器でも鍋でも。
けれども、最近は、そういうことに、あまりこだわらなくなりました。



先日、買った腕時計は1000円未満のカシオの時計だし、


(バスや電車の時間を秒単位で確認できるので、デジタルが凄く便利です。ベルト調整は自己責任で自分でやりました。)

実家に用事があって行ったときの手荷物バッグなナイロンのバッグです。
靴も重厚な革ではなく薄手の軽いもの。
よほどの大雨でない限りカサは軽量の折りたたみ傘。
水筒も、以前のものはまだ使えるものでしたが軽量のものに買い換えました。


おかげで外出は肩が凝らず快適です。





最近の、私にとってのミニマム化は、数を減らすことにこだわりません。
同じ用途のものを小型化したり、
軽いものに変えることです。




たとえば腕時計などは、その人の懐具合を示すアイテム代わりの側面もあります。
だから、こういう時計をすることはある種の勇気というか、開き直りの姿勢が必要です。
けれども、思うのですが、高価なブランド品は、日本人なら誰でもほとんどものを買う気になれば買えるんですよね。
だから、高価なブランド品は持ってても現代日本では、たいしたステイタスにはなりません。
たとえば、ヴィトンのバッグなんて田舎のおばちゃんでも持っています。なりふり構わない風の田舎のおばちゃんが実は資産家で、本当の意味でのお金持ちで、見た目セレブ風な女性が実はカツカツしていて、ブランド品をがんばって買っているのは珍しくありません。

思うに、雑誌などでよく見かける「お気に入りの逸品」的なものって、他人に見せるためのもので、ブランド物のバッグと目的は同じであるような気がします。



昔はブランドバッグは経済力のステイタスになったけれど、今はいろんな方法で誰でも買えます。だから、代わりに「お気に入りの雑貨」を選ぶ審美眼という新手のステイタスが登場しているような・・。



つまりはブランドバッグもお気に入りの逸品(の雑貨)も根本にある目的は同じ場合もあるということです。もちろん、そればっかりじゃないかもしれませんが、雑貨はブランドバッグと違って「暮らしに必要なもの」として買いすぎてしまう名分が立つのがやっかいなので気をつけましょう。






2014/08/02

乾電池の余分な買い置きをしない理由。

処分予定のアルカリ乾電池を、棚の上に置きっぱなしにしていました。

ある日、見ると、しろい粉が吹いています。
どうやら、液漏れしたようです。

この「しろい粉」の扱いがよくわからないので、ネットで調べてみました。

それによると、このようなことがわかりました。



・しろい粉の正体は電解液が空気中の二酸化炭素と反応して結晶かしたもの。

・しろい粉は強アルカリ性なので扱いには注意する必要がある。

めがねを着用、ビニール手袋などを使って処理。
できるだけ粉の状態で排除する。

 皮膚に付着したまま放置すると化学やけどを起こす
 目に入ると失明の危険がある

 万が一、目に入った場合は、こすらず大量の水で洗い流す。
 皮膚に付いた場合も同様。

・液漏れした乾電池は使えない。

・液漏れする乾電池はアルカリ乾電池



だいぶ前にも、買い置きしていた未使用乾電池がパッケージの中で粉を吹いていたことがありました。でも、そのときは、扱いに注意が必要とはあまりよく考えずにいました。



粉が舞うといけないので、化粧をしているときにマスクをして、長袖の服、ビニール手袋をして処理しました。小心者なので、このとき着ていた服は、別にバケツの水で下洗いしました。


で、そのあとやったことは、使っていない乾電池入りの小型家電の処分とチェックです。


置き時計
冷風扇のリモコン
扇風機のリモコン
ステレオコンポのリモコン

これらの中に入れっぱなしだった乾電池を外しておきました。
リモコンは、念のため乾電池を外して保管しておきますが、置き時計は処分しました。

乾電池を使う小型家電のトリセツには、多分「使用しないときは乾電池を外して下さい。」と書いてあるんですよね。ところが割と軽視してしまいます。場合によっては乾電池の液漏れで小型家電が使えなくなることもあると思います。


使っていない物を、放置しないということは、安全の意味でも大切なことなんですね。


2011年の震災以降、乾電池を買い置いている人も多いと思います。

このような場合もあるので、以下、自分なりに気をつけようと考えたことです。



・定期的に買い置きの乾電池の状態を確認する。

・定期的に乾電池使用の小型家電の電池の状態を確認する

・必要以上に乾電池の買い置きをしない

・不要になった乾電池は住んでいる自治体のゴミ処分の方法に従い、安全を確認したうえで早めにこまめに処分する

と、あらためて実感しました。



余計な物を不必要に持っていると、単純に危険なこともあるんですね。
数が多いとチェックするにしても目が行き届きにくくなるのでなおさらです。




2014/07/26

ハサミでは切れにくい「ラグ」のカット。

ハサミ(布切り用)では簡単に切れない丈夫なラグを簡単に切る方法が分かりました。


数日前、「少しずつ切れば大丈夫だろう。」と、無理にハサミで切ったところ、力が入りすぎたのか指の血管にアクシデントが起きてしまいました。(すぐに治りましたが。)



で、まだラグが残っていました。



何か、方法はないものかとググってみました。




すると、ネット内の情報で「パンスライサー」を使う方法を発見しました。



早速、ものは試しと家にあったパンスライサー(パン切りナイフ)でラグをカットしてみました。すると・・うわ~楽に切れる!ちなみに我が家のパン切りナイフは、10年前くらい(もっと前だったか?)景品でもらったものをもらった・・というもらいもののもらいもの・・の、かなり簡素なものです。


らぐのかっと





右側のカットした断面は、写真のパンスライサーでカットしました。これを燃えるゴミサイズ(1辺50センチメートル未満)にカットして無事、普通ゴミに出すことができました。



カットの方法として、私の場合は、のこぎりで板を切るような要領で行いました。カッターのようにするのではないですよ。ちなみに、ラグを配達される状態のように丸めた状態にしたものを、のこぎりで一本の木を切るようにカットする方法もあるみたいです。

この際も、念のため右手に軍手を三重にはめましたよ。パンスライサーは、ものすごく切れやすいので、床、手足をうっかり傷つけないように注意しました。


あんなに柔らかいものをカットしている物が、実は堅牢なものをカットするにも適しているとは驚きです。


これでやっとスッキリしました。



楽天で一番安いのは、現在これかな?
100均品でも十分みたいですが。

黒プラ柄 パン切りナイフ 30891

黒プラ柄 パン切りナイフ 30891
価格:350円(税込、送料別)




2014/03/31

持ち物の9割を捨てた人。


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数年前に持ち物の9割を捨てたというのは、この本の著者である高城剛さんです。(以前は大量に物を持っていたそうです。)







最近になって、この方の著書を読み、時代の一歩先を行っているスゴイ方だということを知りました。正確な表現ではないかもしれませんが、大雑把にいえば、世界中を飛び回り、常に斬新な視点で行動している方です。肩書きを付けるのがこれほど難しい方も珍しいのではないでしょうか。



詳細は、下手に私が説明するより本を読んで頂いた方が誤解がないと思います。



前回に引き続き、2冊目に買った電子書籍です。この本では、インタビューに著者が答えるという形式で構成されていますので、著者の事を手っ取り早く知りたい方には初めの一冊として最適です。




気になった点をいくつか引用してみます。





モノを売ることがカッコ悪くなってしまいましたからね。中略 ファッションも同じ。中略  いつも同じ格好をしているほうが、カッコいい時代になったわけです。と言うか、デザイン重視の時代が過ぎたということです。中略 いまはデザインより素材や製法が重要で、たとえばオーガニックコットンで梨地織りの無地が良いとなります。良い悪いではなく、それが時代なんでしょうね。





失うことは、得ることの第一歩だと思います。中略なにより固定観念を捨てられた事が大きい。こだわりの逸品=二十世紀的固定観念の固まりでしたからね。これは、二十世紀との決別であり、同時に形あるもの=デザイン時代の終焉を、僕の中で意味しました。






食糧危機も、皆食べる量を減らせば、かなり解決すると思うけど、そういう人は誰もいないのが不思議です。一方でダイエットブーム。食糧が不足すると恐怖を与え、痩せなければいけないと恐怖を与える。本当に不思議です。
現代社会、特にメディアは恐怖を与えることで成り立っている事がよくわかる構造です。






「モノそのものに価値を見いだす価値観の時代はもう終わった。」というところでしょうか。確かに、これまではモノそのものの価値が高かったので、デザインという「見た目」が最も重視されてきています。けれども、最近はデジタル化されるものが急激に増えて、物の概念がガラリと変化しています。



となると必然的に物があることによるデザイン、見た目の重要度は、急降下していくというのは納得がいく話です。亡きスティーヴジョブスが常に同じ服装だったのは、単に服装に頭脳を費やさないというだけでなく、そういうことも根底にあったかもしれないと感じました。




私も、一喜一憂しながら服を悩みに悩んで選んでも、また流行の変化ですぐに着られなくなるという現象や、「着まわし」等の概念には以前から疑念を抱き始めていました。きちんと洗濯がしてあり、会う人に不快感を抱かせるような極端な服装をしない限り「いつも同じ」の何が悪いのだろうとも。著者が言いたいことの趣旨とズレますが、結論を言えば、見た目重視とは物に価値があってこその概念です。つまりそういう時代はもう終わったということなんでしょう。




これまでは服や持ち物、住んでいる家、所有する車、極端に飛躍すれば容姿・・など目に見えるところが価値観の優劣を左右してきました。けれども、徐々にそれは変化しつつある、すでに変化しているということかもしれません。ただ、現実として、実際に普通に日本で暮らしている分にはまだその気配は周辺に感じることはありません。









2014/03/03

持たない理由は2つのパターンがある



「多くの物を持たないで暮らしたい。」という場合、世の中の片づけ本やシンプルライフ系の本を拝見すると大きく2つのパターンに傾向がわかれています。



A:物の保管は店に任せておけばよい。いつでも店には豊富な商品があるので自宅に多くの物を持つ必要はない。


B:そもそも、生きるために物はそれほど必要としない。なるべく「あるもの」を使い、電気ガス水道等の使用もほどほどにして環境に配する。



どちらも、「自宅に多くの物を保管する必要はない。」とする点では共通しています。そのため、どちらも同じ事を推奨しているように錯覚をしてしまいます。ところが、よく読むと実は両者の主張は根本的に考えが違うのです。



Aの場合は、できれば、多くの物を必要だと考えています。けれども、「もたない」とする理由は自宅の保管スペースや管理が大変になるから・・というあくまで管理とコスト等の点を重視しています。

さらに、「コンビニやスーパーが我が家の倉庫代わりと考えれば良い。」という話も良く見られるのが特徴です。コンビニやスーパーを倉庫代わりにするということは、社会のシステムに絶大な信頼を置いていることが前提になります。戦後の日本は、通常、長らくそのシステムは滞りなく維持されてきました。ですから、そのような考えを持つ人が多くても何ら不思議はありません。


けれども、確率的にはそれほど多くはないとはいえ、時には天災などで、流通が滞ることがあります。2011年の震災や、ついこの間の雪の影響は記憶に新しいところです。長い間、何事もなく流通が整っていて商品も豊富にある場合は、すっかりそのような事を忘れています。幸いに、数日の間に、流通は元に戻りましたが、その時の事例は、いくら現代日本であっても100%完全ではないということを思いしらされました。

このとき、ある程度家にストックをしておいた人は、難を逃れることができたでしょうが、「コンビニが倉庫代わり」でギリギリの在庫で暮らしていた方はかなり焦ったのではないかと思われます。



それに対して、Bの場合は、そもそも、物や現代のライフラインのシステムに依存しすぎる事に疑問を抱いています。。ですから、ある程度自宅に必要な物のストックもしていると思われますが、普段から多くを消費する生活をしていないので、数は少なくても困らないようです。極端な例では自宅でライフラインを調達できている場合には、その維持と管理にこそ手間と時間は多少必要でしょうけれど、何かあっても自宅で調達が可能なため、変化に強いとも言えます。



つまり、Aのケースは、現代日本の社会のシステムに絶大な信頼を置いていることが大前提です。それに対してBの場合は、自給自足までいかなくても、日本の社会のシステムに大きく依存することなく、自分の家で調達できることは自分の家で解決しようとしています。そのために普段から物に頼り過ぎたり多くの物を持たない生活にしているのでしょう。


推測ですが、国としては多くの人がBに傾くことは避けたいのだと思われます。理由は、自宅で生活の基礎が完結できるとなれば、外に働きに行く必要性も低くなり、税収が入りにくくなるからです。


それに対して「もたない」と言ってもAの場合は、日本の経済等のシステムによくなじみます。ガス、水道、電気を使うためには現金が必要です。現金を得るには一般には外に働きに行くことが必要になります。すると、家事にかける時間が少なくなるので便利な家電も売れますし、自分を見栄え良くするための服、化粧品、小物、通勤のための車等も良く売れます。



最近、「多くの物を持たずに暮らす」事を目指している方は多いようです。その場合、果たして自分はA、Bどちらを目指しているのか考えたことはあるでしょうか。


物を減らそうとして、捨てすぎた後に虚無感のような感情になり、困惑する人も珍しくないと聞きます。それは、初めにA,Bどちらを目指しているのか目的を決めずにいたからかもしれません。


段捨離を実行しようと思う場合「多くの物を持たない」ケースにも2つのパターンがあることを念頭に置いてスタートすることをお勧めします。




2014/02/28

持ち物のを減らすポイントは数より体積にある。




持ち物が多いか少ないかを判断するために、しばしば「数」が用いられます。



ところが、この判断方法を使おうとすると困ったことが起きます。



「持ち物の数を数えることは、本当に意味があるのだろうか。」


という疑問にぶつかるのです。



タンス1さおでも1個、ボールペン1本でも1個だからです。数の上では、どちらも同じ1個、「このカウント方法は本当に持ち物の改善の意味や何かの気付きをもたらすのだろうか。」と何か多大なミスをしている気がするのです。


そこで、ふと思い出すのは引越しのトラックの容量です。当然ですが、ものが多い世帯はトラックの容量が大きいですよね。



我が家の場合は、結婚からしばらくは、この荷物のうち婚礼タンスが大きな比重を占めていました。


(その後、婚礼タンスや大きな家具を処分しましたが、買ったものもあります。)



他にも小さな物の処分もしました。ところが、婚礼タンスの3点セットを処分しても数でいえばマイナス3です。ボールペンを3本処分してもマイナス3です。



では婚礼タンスの処分と、ボールペンの処分では、どちらが減らした効果が大きいのでしょうか。


普通は前者ですよね。


なぜ、数に上では同じなのに処分した効果に違いがあるのでしょうか。


答えは簡単です。ポイントは体積の違いです。処分する効果が大きいのは所有数を減らすほうではなく体積の大きいものです。


つまり、迅速に処分の効果を上げたい時は
体積の大きいものを優先する方が良いのです。





もちろん持ち物を客観視するために数を数えることは決して無駄とはいえないでしょう。


けれども、その結果が必ずしも的確に数値化しているとは限りません。


何のために減らしたいのか、というと引越しのトラック容量が減るような減らし方をしたいのならば、まずは家具家電などの大きいものの処分が必要だということが見えてきます。


小さいものの処分もバカにならないのも事実ですが、全体を俯瞰して何のために数値化するのか理由と目的を決めることが大事ですね。









2014/02/25

タオルは、予備がないと困りますね。

ミニマムな暮らしは、生活にアクシデントがない事が大前提ですね。


例えば最近、「ちょっとギリギリ」と思ったのはタオルです。


この場合のタオルはホテル様式の厚手ではなく、使い古しで薄いものの方が重宝します。


こういう頻度は少ないのですが、やっぱり不足すると困ります。


無駄の ない暮らしには実はリスクがあります。それは「不測の事態」「急な変化」に弱い事です。


ちょうど、
車のハンドルの「あそび」が あるかないかと似ています。

無駄を排除すればメリットも多いですが少ない確立ですがリスクもあるのを承知して実行しなくてはいけないようです。







2014/02/22

「捨てなきゃ良かった?」と思ったもの発見して。

たまたまユーチューヴで、私が20歳くらいの頃に行ったミュージシャンの東京ドームでのコンサートの映像を発見しました。




確か、その映像は当時ビデオテープで販売されていて買った記憶もありますが、すでに処分をしてないものでした。「捨て」にはまっていたことは、「もういらない」と思ったのですが、しばらくして少し後悔の様な気持が芽生えたこともあります。けれども実生活に必要な物ではなく単なる思い出品のひとつです。日々の生活の中でその存在はすっかり忘れていました。そんなとき偶然、その映像を観る事がかないました。




そのコンサートは、映像の最後に日付が表示されていました。それで一日限りの公演だった事を思い出したのです。自分では何年の何月何日に行ったかさえ忘れていましたが、それによっては正確な日付まで知ることがかないました。つまりその映像の空間のどこかに私もいたわけです。その時の席はアリーナ席ではなく後方の席でしたからミュージシャンの姿は映像でしか見えませんでしたが、当時は東京ドームに行くために地方から高速バスで訪れたことも思い出しました。ユーチューヴのコメントには似たような事を書いている方もいました。




久しぶりにその映像を観て、当時の感情などが走馬灯のようによみがえりました。





今の時代、思わぬところでこんなこともあるのですね。驚きました。ただ、当時は最先端に思えた音楽、技術、演出も、当然ですが今となってみるとまた価値観が変わっています。



逆に、手元にビデオテープがなかったことで脳内で「素晴らしすぎたかもしれない」と価値観が実際以上に膨らんでいた可能性もあります。




そんなこともあるせいか、「捨てたかもしれないことを少しだけ後悔」した映像も、一度観ると気が済みました。思い出は、たまに何かのきっかけでこんな風に再会できることもありますが、やはりどんなに懐かしくても過去の映像だと改めて納得することができました。



当時は、その音楽により、心に活力をもらったりとおおいに助けられました。けれども、今はその役割は終了し、「懐かしい」と思う過去を思い出すきっかけにしかならないものへと変化していました。



思い出品といっても、その役割は時を経るとその役割が変化するもののようです。そのものにか行っては何かの拍子に偶然見かけてちょっとびっくり&感動するくらいが、一番良いのかもしれないと思いました。









2014/01/28

12月分の電気代が34%減った理由



12月分の電気代が昨年の同時期より34%減りました。



正確な期間は昨年12月9日から今年の1月9日までの31日間です。帰省や旅行で家を開けた時期はありません。むしろ、いつもより家族が家にいる時間が長かったと思います。


我が家の電気代のうち、季節によって使用量が大幅に上がるのはエアコンです。夏はもちろん、冬も家じゅうの暖房はリビングのエアコンです。暖房器具はそれ以外に2畳のホットカーペットと座布団サイズのミニホットカーペットです。


今回電気代が大幅に減ったのは暖房としてのエアコンの使用量が少なかったからです。


寒いのを無理して我慢はしていません。「寒い時にONにする」「寒くない時はOFFにする」というごく当たり前の普通の事を忠実に実行したたけです。


ただし、ちょっとした工夫で体が冷えないようにはしています。ムートンのルームシューズを履き、ユニクロのヒートテックパンツで足元が冷えないようにしています。トップスは家事の合間はカットソーだけで、じっとしている間はフリースを羽織っています。この程度なので特に変わったことはしていません。



室内の気温は通常のシーズンと今年も変わりありません。



「寒い時にON,寒くない時にOFF」という当たり前のことなのですが、以前は、そうではない使い方をしていました。それは、室温に関係なく、何も考えずに習慣で電源を入れているような場合です。

たとえば外から帰宅してONにする、朝起きてリビングに来たらONにする、部屋にいるときはONにするというようにです。


もう一点は、「つけっぱなし」です。照明器具のON,OFFに敏感でも暖房に関しては無頓着になることがあります。エアコンや最近のヒーターは、自動で温度に応じて強弱等の動作をしていますが、電源が入っている以上電気代は発生しています。

機種によっては電源を入れたり切ったりを繰り返さない方が消費電力が少ないものもあるかもしれません。けれども、我が家の場合は意識してその都度動作させてみました。

エアコンの暖房をONにしたら、同時に切りタイマーもセットします。大体1時間か、2時間くらいの短い時間で設定します。


機密性が高い建物なので一度暖まるとそんなに部屋が冷えないので、「いったん、暖める」くらいで十分なことがほとんどです。仮に切りタイマーで電源が消えて「寒い」と思ったら改めて電源を入れます。





自分の体感と温室時計をチェックして無駄に暖房を入れないようにした結果、このようになりました。


実はこんな風にしているのは電気代の節約のためだけではないのです。それは健康管理のためです。エアコン暖房は部屋を乾燥させます。ということは「つけっぱなし」や「あたためすぎ」は乾燥を加速させます。となると今の季節に気になるウィルス対策によくありません。

我が家では加湿器がありませんので、(空気清浄機はあり)以前も書きましたが冬は洗濯のメインは夜に行い室内干しで加湿をしています。

日中は、暖房を使う事が少なく夜は家族が帰宅してから稼働しているので、それに合わせている状態です。



室温は「ちょっと寒いかな」くらいに体を慣らしておいたほうが、寒さへ耐性がつくような気がしています。そう言えば先日の記事に「冬のフリースのパジャマが不要になり春秋のコットンパジャマでOKになった」話を書きました。今年の冬はいつもより室温が低めであるにもかかわらず、以前より薄着でもよくなっています。


先日の記事では「理由はよくわからない」と書いたのですが、この記事を書いていてふと思いました。もしかすると室内の暖房を使い過ぎないことで、体質にも何等かの良い影響が少なからずあるのかもしれません。



気がつけば電気代が昨年よりも34%も減っているということに改めて驚きました。無理な節約をする必要はありませんが、このような無駄は暮らしの中に案外他にもありそうです。










2014/01/27

冬用のフリースパジャマがいらなくなった理由

衣類が増える原因の一つに、四季があります。温度や湿度の変化が激しいので衣類も種類が増えやすいのです。私の場合、元々、相当な寒がりで冷え症です。そのため、真冬にはフリースのパジャマ以外考えられないと思ってきました。



今シーズンも、昨年持っていたフリースのパジャマを処分したあとでした。今シーズンには新しく買うつもりだったのです。




ところが、ユニクロに買いに行くもデザイン、形でどうしても妥協できず、さんざん迷った挙句何も買わずに帰りました。とりあえず、春秋用のコットンのパジャマを着ることにしました。



寒い時にはフリースを羽織ります。布団に入るとズボンの裾がまくりあがり、足首が冷えるので3COINSから315円のレッグウォーマーを買って間に合わせました。



ところがです。



冬もまっただ中の現在、その春秋用のコットンのパジャマで十分過ごすことができています。もちろん、布団に入る時にはフリースはぬぎます。パジャマだけです。(レッグウォーマーはつけたまま)



もう一つ付け加えるとすれば、インナーは無印のぬくもりインナーを着ていることくらいですが、それで寒いと感じることはありません。



これまで何年もの間、冬にはフリースのパジャマでなければ寒くて耐えられないと思いこんできました。体質が少し変化したのか、それとも、もともとコットンのパジャマで十分だったのか・・無印のぬくもりインナーが温かいからか・・理由はよくわかりませんが、とにかく冬用として春秋物と別のパジャマを用意しなくても支障がなかったということです。





意外と、思いこみで余分に持っている服ってあるものだなあと痛感しました。これからは、フリースのパジャマを買わなくても良さそうです。




2014/01/24

今日の断捨離と不思議(?)な出来事。

たまには捨てたものを画像入りで記事にしてみます。


時々、家の中を歩き回り不用品チェックしています。


洗面所



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・今月で使用期限が切れるコンタクトレンズ
・洗剤類の空容器
・試供品




台所



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・コーヒーサーバーなど

・レジ袋など

・空容器

・使いかけのウェットティッシュ



玄関



010_201401231512007ac.jpg

小さいサイズのマスク
サービスでもらった扇子など





キャビネットなどから






のし袋を捨てます。
慶弔用ののし袋が、こんなにありました。(忘れて買ってきてしまい、いつの間にかこんなにありました。)
もっと減らしても良さそうです。

015_20140123152324d9a.jpg


やっぱり、左から2番目のを残して全部捨てることにします。
それ以外の必要があるときは、その都度コンビニから買うことにします。



レターケースの中から






最後に・・何とも皮肉な話です。
何年も前から「足りない」と思っていたキャビネットの棚板のダボです。重い腰を上げて、ようやくホームセンターから買ってきたんです。ところが、ダボを買ったその日、断捨離チェックをするためにレターケースを開けると「ありました。」

(左:元からあったもの、右:買ったもの)

012_2014012318155869b.jpg



こういうことって、みなさんもきっと経験があることでしょう。こうしたことは不思議な事に思えるかもしれません。でも、冷静に考えれば実は不思議なことでもなんでもないんです。

おそらく、こういうことなのだと思います。人の目は、見えているようで見えていない事が多々あります。たとえば、いつも通っている道なのに、そこに花屋さんがあることに、気付いていない事があります。ところが部屋に花を飾ることが習慣になったとたん、街に花屋さんが増えた気がします。


自分のおなかに子供ができると、急に街の中の妊婦さんも増えたように感じます。これまで、花屋さんは、何年も前からその場所にあり、妊婦さんの数は急に増えません。どういうことかというと、自分の関心が向いているかどうかということなんですね。



だから、今回の「ダボ」も今までは単に関心の度合いが薄かったということです。それが今回「ダボを買う」というはっきりした意識が向いたので、ようやくレターケースの中にある「ダボ」が目に入ったのです。これまで、何度も目に入っていたはずですが、意識なのか脳なのかわかりませんが、とにかく私にとって、そのダボは「ない」とみなしていたんですね。



ダボ程度の探し物なら生活に支障がありません。でも大事な書類やものの場合、そうはいきませんよね。探し物をしている時の多くが「あるのにない。」と判断している状態です。



時間がない時に、そんな状態になっては大変です。なので定期的に不用品を間引くことは大事な作業です。いらない物の見極めのコツは「いらない物」を探すのではなく、「ないと困る以外」の物を処分するイメージです。


本当は「全部出す」をやってから不用品のあぶりだしをする方が確実ですが、こまめにやる場合は、毎度でなくても良いと思います。






2014/01/04

手放すのがいいのか、手放すのがいけないのか、それが問題だ。

ぐる




考える心というやつ、もともと四分の一は知恵で、残りの四分の三は臆病に過ぎないのだ                     (シェイクスピア『ハムレット』第四幕第四場)



先日 買った本の冒に引用されていたのはシェイクスピアのハムレットのものです。さすがというか、現代でも多くの全てのことにあてはまるなあとページをめくる手が止まりました。



たとえば、このブログでは、しばしば物の持ち方を話題にしています。取捨選択をするときには確かに(これも、この文中で引用されているのですが)「思いまどうことの象徴」の一つの有名なセリフ、ハムレットの



「このままでいのか、いけないのか、それが問題だ。」



の思考ばかりがぐるぐると頭を駆け巡っているだけのことが多いわけです。




とすれば、「手放すのがいいのか、手放すのがいけないのか、それが問題だ。」ハムレット状態になっているときというのは、4分の1は知恵だけど、4分の3は臆病から来ている気持の可能性が強い・・と強引に解釈するのも一案です。



後悔したらどうしよう。

二度と買えないかもしれない。

生活が不便になったらどうしよう。

また使うかもしれない。

人がなんて思うだろう。



確かに、物の取捨選択にストップをかける思考の多くは確かに「臆病」であることが多いですね。


それらの全てが否定的要素ではありませんが、迷いの4分の三の根源は臆病なのだと知っていれば、判断の目安もまた違ってきそうです。











朝日新聞の元論説委員の方のロングセラー本のリメイク版です。片付け本ではありませんが、読みやすく参考になることが山ほどありました。おかげで、ふせんだらけになりました。























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2014/01/01

スポンジ置きを撤去し、こうしました。(掃除が簡単に。)

ume




さて、今年最初の記事は、食器洗いのスポンジ置き場の話です。

長年、スポンジは、シンクの内側に吸盤でくっつけるよくある物を使っていました。でも、それがあるとシンクを洗う時邪魔なんですよね。洗う時に吸盤を外して、終了したらまた戻す。


それに、スポンジを使わない時もスポンジには常に水がかかるので常にジメジメ状態になることが気になっていました。でも、置き場所がない。


そうこうしているうちに、吸盤のくっつきが良くなくなってきました。そこで、とりあえずスポンジ置き場を撤去して、スポンジはシンクの上に立てておいてみました。・・が、じかにシンクにくっついている部分が不衛生。


そこで、もうひとひねり。


結果、こうしました。



S字フックに、洗濯バサミをひっかけて、洗濯バサミでスポンジの隅っこを挟むのです。これをシンク上の扉の取っ手に引っかけます。






(背景が見えて紛らわしいので、段ボールをあてて撮影しています。)




すぽんじ1

ちょうどこれまでは食器洗いブラシがぶら下がっていますので、その隣です。


こんな風に。




すぽんじ2



これは今のところ、使い勝手は想像以上に良いです。

ぶら下げる前に、ギュッと水を絞って端っこの硬い部分を挟みます。

使う時には、このまま引っ張れば取れます。

(洗濯バサミを開いて外すのがベストですが急いでいる時は。)


これで上に吊るしているので、通気性が良く、使っていないのに水はねがかかることもありません。


シンク周りに置くものが一つ減ってシンク周りの掃除がラクになりました。




2013/12/29

家計簿を処分(2012年1月から 2013年 6月分)

すいせん


先日の紙物処分のときに、家計簿をタイトル通りの期間分を処分しました。ただし一部の領収証は保管しています。残したのは、金額の大きいものと、公共料金の、それぞれ一枚と、念のため保管の必要性があると判断したもの・・です。


領収証だけになったものの保管場所は蛇腹式ファイルの中です。家計簿とほとんどの領収証は処分しましたが、少し保管してあるので、それは蛇腹ファイルに年別に放り込んであります。


さて、約1.5年分の家計簿は、保管していたときにはスペースはわずかでした。ところがこの期間は、試験的に全てのレシートをノートに張り付ける方法をとっていたので、いつもの年より処分が大変でした。


今はレシートを撮影しながら集計できるスマホアプリがあります。なので、ノートに貼って残す・・という方法は邪道に思えます。それでも、試験的にそれをあえて行ったのは理由があります。


まず、スマホのレシート撮影機能のあるアプリを使わないのは、レシートはその人の限りなくプライベートな面が見えてしまうので、それをスマホのアプリに撮影した場合、情報漏えいとその他のアクシデントがないのだろうか・・と不安を感じるからです。

ノートに貼って残し、集計する方法をとったのは、日々の支出の意識付けが強化するのではないかと思ったからです。


効果のほどと、感想ですが、結局毎日記録することがなく、まとめて処理していたので、日々の意識付けにつながりませんでした。単に処分の手間が大変になり、ノートを余分に使っただけのような気がしました。

集計は数字をエクセルに入力する形式で行っていましたので、アナログとデジタルの併用でした。


日々のレシートなどはわずかなものですが、一か月・・2カ月・・それ以上・・と重なると紙は、本当にあっという間に増えます。結局、保管の整理も必要になるしで、あまりメリットはありませんでした。

毎日記録できていれば、また違うのかもしれませんが。



来年からは、極力「残さない」方法の家計簿を考えようと思っています。ただし、先ほども書いたように、アプリの類には、若干不安があるので、自分で表を作り入力する方法になりそうです。







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2013/12/19

キッチン小物を減らす簡単な判断のコツ。

使い勝手を変えずにキッチンの物を減らしてきました。方法は、
サイズ違いで複数持っている物を減らす事です。



サイズ違い1
(フリー素材です。)






たとえば、鍋、フライパン、おたま、さいばし、まな板、ザル、ボウル、トング、包丁・ナイフ・・など。



「サイズ違いで2つ以上 あるもの」を厳選します。





もちろん、それぞれ、どうしてもサイズ違い、または複数を持たなくてはいけない物は無理をしなくても良いです。



鍋のフタ

サイズ違い4
(フリー素材です)


はじめに「鍋のフタ」についてです。鍋を買うと、もれなく「フタ」がついてきます。鍋の数だけ「フタ」も増えます。でも、フタはもとの組み合わせ以外にも使えます。

Aの鍋のフタがBの鍋とCの鍋に使えることがあります。我が家の場合はA,B,Cの鍋に、フタはAの鍋のフタ一つで事足りると気が付きB,Cのフタは処分しました。
  

(2つの鍋のフタを減らしました)





おたま

サイズ違い3
(フリー素材です)





以前は、大小2つの「おたま」を持っていました。けれども、洗いながら使えば、2つはいらないと気が付きました。小の「おたま」は処分をしたので現在は大の「おたま」ひとつだけです。

(1つのお玉を減らしました)




ザル

サイズ違い2
(フリー素材です)




以前は、大、中、小の3つのサイズ違いのザルを持っていました。このうち、小サイズのザルはなくても支障がないと判断し処分しました。現在は大、中の2つのザルだけです。

(1つのザルを減らしました)



同じように考えて、ボウル、菜箸、トング、やかん、保温ポットなども減らしました。このように、サイズ違いのものを支障のない範囲で厳選すると用途を変えずに数を減らすことができます。


「使っている?使っていない?」「いる?いらない?」「好き?嫌い?」いずれも漠然としています。このような判別方は要不要の判断が鈍ります。


キッチンのものは、どれも使っているようで使っていない、あれば、まあ使う、好きか嫌いかと言われても・・そんな感じだからです。




ところがサイズ違いの複数持ちの数の中から選びとる・・方法であれば、決断しやすいのです。その用途のグッズが全てなくなるわけではないからです。



キッチンをスッキリさせたい。物を減らさなくてはと思うけれど何が余分なのかわからない。そんな場合は、今回の方法もお勧めです。





2013/12/08

スマホのアプリはミニマムに。

私がスマホを持ったのはまだ数ヶ月前です。初めは多くの無料アプリに「すごい」と感激さえしていました。


けれども、現在は次々とアプリを削除しています。残っているのは、消せない基本のアプリとバスと電車の時刻表、Google、ヤフー、ブログ、アマゾンと楽天、このくらいです。(厳密には、いったんインストールしたアプリは画面から削除しても画面から消えているだけで別の設定が必要なのかもしれません。)



ライン、スカイプは、初めからアプリも入れていませんので使いません。




スマホのアプリは、初めのうちこそ便利と喜んでいましたが、しばらくすると、これらは全て「あれば便利」なものに過ぎないと気が付きました。




「あれば便利」は、「無くてもよいもの」のだと耳にタコが出来るほど聞いた気がします。(読んだというべきでしょうか。)




そうです。




多すぎる過剰な不用品の中には、必ず「あれば便利」なもので占められている確率が高いのです。思い切って、手放してみても何ら困ることはありません。




困るどころか、過剰なものを手放したあとは、必要なものが明確になり、ラクに行動できるようになることは身を持って経験しています。




ところが最近では、スマホのアプリのように必ずしも物理的スペースを占めない「あれば便利なもの」も身の回りに存在するようになりました。また、普段使わない書類や情報は、スキャンしたり、ネット上に保管するなどできるので、必ずしも捨てる作業が必要ではないといわれることもあります。




身近な例をあげれば、Gmailなどは、基本的に定期的に完了したメールを削除しなくても良いそうです。メールのやりとりは、その人のライフログである側面もあるので、全て削除せずに残しておけば、あとで必要な時に簡単に検索などで探せるので、メールは捨てずに取っておくものだと主張する方もいます。




確かに、何等かの業務を行っている方などには、そうした方法は有効かもしれません。また、わざわざ日記を付けなくてもメールのやり取りを見れば、その日、その時間、どんなことをしていて、誰と会っていたのかも詳細にわかるので有意義な面があるかもしれません。または業務などをしていなくても、趣味の範疇として自分の個人的なライフログがわりとしても面白いかもしれません。




このような方の場合をのぞき、私は、「物理的なスペースを占めなければ、たとえたいして必要でないものでも「とりあえず」持っていれば良いものなのだろうか。」と疑問を抱きます。




昔読んだ、カレン・キングストンの本に「たとえ目に見えない場所にしまっていても潜在意識が覚えている。それが知らず人をひどく疲労させる」という内容が書いてあったと記憶しています。







この本が書かれたころには、まだデジタル化した情報の保管は一般的ではなかったと思います。ですから、著者が言っているのは全て目に見える物理的な「物」についての話です。けれども、改めて内容を思い出してみると「見えない場所に保管してあるもの」とは、今の時代にあてはめると、スマホのアプリやネット上に保管してある情報、データ、電子化して保管してある書籍、記録媒体に保存したデータなども同じ事ではないかと思ったのです。





つまり、スマホのアプリのようにスペースを占めない物でも、削除しない限りはスマホの画面に「とりあえず」残したままでいる限りは「押し入れの天袋などに入れっぱなしの不要な物」と何ら変わりはないのでは?ということです。




アプリと同様のものに、先ほど触れたメールの記録、電子化した書籍、スキャンしたデータ、ネット上に保管したデータ、パソコンや記録媒体に保存したデータ・・などがあります。結局のところ、明確な理由があって保管しているのでない限り、これらも全て実のところは「押し入れの天袋」に押し込んだ「とりあえず見えない場所に保管したいらないもの」と同じではないのかと思うのです。



現実には、周辺から紙の本はなくなっていないし、電子書籍の出版物はかなり少なめです。メールがあっても、相変わらず連絡には郵便で紙の書類で送られてくるものが多数ですし、学校関連の連絡は、ほぼ高い確率で紙のプリントと固定電話の連絡網が使われます。(一部、緊急連絡などには、連絡網と併用してメールを扱っているところもあるようですが、まだ少数だと思われます。)



本を読めば、ほぼ書いてある事と内容は同じ・・とわかっていても、著者の講演会に行くことは別・・とお金を払って出かける人は多数です。書面で連絡すれば済む内容でも、日時指定された日に説明会などの集会を設け、結局のところ配布された書面をほぼ読み上げるだけの様なものも多数存在しますが、これに異を唱える人は稀でしょう。




このように、私たちは、結局のところ、データを必要としているのではなくて、何か実際に手に触れることができるもの、目の前に見えるもの、実際に生の人の姿を拝見したり、生の声を聞いたり、周囲の人との直接の交流をすることに喜びを覚えるのですね。




だから、どんなにデジタル化されたスペース不要の機能が充実した時代になっても、これまでのアナログな手法は消えないのでしょう。




これほど紙のものをスペース不要で保管できる技術が一般化しても、いまだ、収納達人の多くは「いかにして紙の書類を効率的の保管するか」について力説します。これは、デジタル化した情報は、省スペースの点についてはメリットがあるけれど、必要な時にすぐに取り出せること、つまり「アクセス」のフットワークの良さについては断然、紙の書類の方が、予め整理さえしておけば「一番早い」ことを多くの人がメリットと感じているからにほかなりません。



もちろん、デジタル化した情報でも、企業レベルの量になれば、別です。紙の書類より、デジタル化したもののほうがスペースもアクセスも少なく、素早くできます。けれども、一般家庭レベルとなれば話は違ってきます。




私も、家電のトリセツや、念のため保管してある学校のプリントなどの書類を、スキャンしてデジタル化してネット上か記録媒体に保管しておこうかと考えたことがあります。けれども、結局のところ、必要な時にすぐに取り出せる自信がないので、やめておきました。




我が家で保管してあるトリセツや学校関連のプリントなどは、せいぜいファイルボックス2個分程度に過ぎないからです。仮にデジタル化して保管したとして、いざ必要な時に、果たしてすぐにアクセスできるか・・私はその手のものの扱いにあんまり明るくないので、結局、時間がかかりそうなのでやめておきました。




それよりも、必ずしも必要ではないものをスペース不要だからと、とりあえず持っていることをやめた方が、ずっと有意義だというわけです。





このような考えから、私のスマホのアプリは、ごく限られたものだけになっています。