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2014/08/30

「お気に入り」はない。

考えてみれば、私には特に「お気に入り」の物と強く実感するものはありません。



なぜなら、物は物以上でないと思うからでしょうか。それから、どんなに見た目が良くなくて妥協して使っている物でも自分の暮らしを支えてくれる物であることに違いはありません。



もちろん、ほどほど「使いやすいなあ」とか「まあまあ好き」と思うものはあります。「買って良かった。」と思う物もあります。けれども、そこまで・・ですね。



たとえば、洋服の取捨選択をしているとき、「好き」ってわけではないけれど、必要な服って、必ずありますよね。たとえばフォーマル用の服とか。それから、本当は、カジュアルな服で365日暮らしたいと思っても、現実は無理です。子供の学校に行かなければならなかったり、何らかのお祝いの席に出席したり、仕事で着る服などもそうです。



そういうときは「お気に入り」も何もありません。客観的な視点のみです。物は、時として自分のために使うとは限りません。


物には2種類あります。




①自分のために使う物

②自分以外のために使う物




①に限っては「お気に入り」を貫けば良いですが、②はたとえ着るのが自分でも相手がある場に着ていくような服も含みます。そういうものは、お気に入りを優先してはいけません。




自分ひとりで生きている人は皆無です。だから、「お気に入り」にとらわれない事が大事です。



もちろん、お気に入りだろうが、そうでなかろうが自分が買った物は大切に使います。けれども、たとえ物であっても「お気に入り」を強く意識することはなかったなあ・・と改めて思います。



たとえ物でも普段から、あまりに「お気に入り」と「嫌いな物」を明確にしすぎることは、その習慣がそのまま人との関係にも表れると思うのです。


考えてみれば、子供は好き嫌いがはっきりしています。ところが、成長するうちに、妥協できるようになります。食べ物の好みから始まり、洋服の好み、小物の好み、人の好み・・子供はこの区分けが明確です。けれども、好き嫌いの差を他人に感じさせない人ほど、紳士、淑女であり、上品な人と写り、それが暮らしぶりの余裕を感じさせます。けれども、好き嫌いの差を周囲に感じさせてしまう人は子供っぽく写ります。もちろん、本当は好き嫌いがあっても、大人はその存在を認める余裕はあります。

けれども、最近の傾向は、どうも好き嫌いを明確にして、嫌いを排除する傾向が多いですね。それは何となく大人げないと思うのです。ミニマム志向になろうとすると、どうしても好き、嫌いを意識せざるを得ないように錯覚しそうになります。物を厳選するのは好き嫌いではなく必要か必要でないかなのです。




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