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2014/12/11

神社などで「願い事」をするのはやめた。


数年前から神社などで祈願、いわゆる願い事をするのをやめました。


そう決めると、ちょっと出かけると祈願する場所が思った以上に多くて困惑します。例えば山に行けば必ず神社があります。観光地や、ちょっとした話題の場所の多くも神社やお寺があります。そうした場所の多くは手を合わせて何かを願う様な場所がたくさんあります。本来は、こうした場所は必ずしも祈願する場ではなく、挨拶をしたり、敬意を払う場でもあると思います。なので、そういう気持ちで手を合わせるにとどめています。


それだけではありません。お守り、矢、お札、おみくじなど関連グッズも売られています。以前は、年の初めの初詣の時に毎年、矢を買い、お守りを買い、おみくじを引いていました。



もちろん、中には深刻な問題を抱えていて「藁をもつかむ」思いの方や、真剣に修行をするなどで祈願している方もいることでしょう。そうした方の行動までも否定するものではありません。そうではなくて、何となく「お願いセール」のような安っぽい雰囲気で祈願と言うよりも欲という願望をひたすら吐き出しているような気がして私は安易にこうした場面でやみくもに祈願することに抵抗があるのです。



意識しなくても、気がつけば、そうした場所にたどり着いている事は多々あります。雰囲気的に、祈願している姿をしないとどうしても不自然な場合は、格好だけそうしたスタイルを演出します。が、頭の中は空っぽです。



もちろん、神社、お寺の存在や成り立ちを否定する気持ちは全くありません。何か他のことをシンコウしているからというわけでもありません。このようにいわゆる無シュウキョウと思われることは外国ではタブーだそうです。ウソでも「私はぶっきょうをしんこうしています。」と言わないとケイカイされるらしいです。



数年前のアニメ、千と千尋の神隠しでは八百万のかみさま・・が登場しました。日本は欧米と違い、かみさまが多数存在するという概念の国です。なので行く先々で自分の家が加入している寺のダンカのシュウ派に関わらず、結婚式は神社や教会で挙げたり、そのときどきで全く違う流派に祈願をすることに違和感なく行われています。


そういう社会的な冠婚葬祭などの場面では普通に行動しています。けれども、プライベートな場面ではそうしたものを懇意にすることは一切やめて数年になります。以前は実家から「有名な神社で祈願してもらった」とお札が送られてきたり、風水にも注意を払ったりしていました。嫁ぎ先のお墓も「建て替えた方が良いのかな。」なんて考えたりもしていました。母からは「今年は厄年」とか言われて気にしたり、かと思えば「知らぬが仏」だったのに・・と思っていました。つまり、かなり影響されていたわけです。


ところがあるとき、ふっと、これら一切のことに疑問を抱き、一般的な慣習以上に祈願、お参り以上のことをするのは一切やめました。それで何が変わったか、どういうメリットがあるか・・ですが、およそこのようなことだと思います。とにかく、全般に考えがシンプルになりました。以前は、新しく住まいを選ぶにしても風水的なことまで気にすると考えなくてはいけないことが山と増えて迷いが生じていました。今は、本当にラクです。




①「今」に重点を置くようになった。

②「できること」「できないこと」の区分を認められるようになった。

③前向きになった。

④細々した買い物が減った。(お守りなど)

⑤いわゆるスピリ○ュアル系の人が話す内容の胡散臭さ、矛盾点にすぐピンと来るようになった。

⑥少なくともス○ピリチュアル系が原因でSAGIに遭う可能性がゼロに近い。(SAGIに遭ったことはありませんが。)



現在、または数年前までは超ジョウ現象とされていたことが、科学の進化により、そうではないことが判明しているものもあります。これから、類似の例は増えると思われます。けれども、それらが広く知られているわけではありません。こうしたものを信じていたい人は情報を知らなかったり、知ろうとしない人も多いと思われます。そういう意味でもますます私にとっては不要なものとなっています。



私の場合、こうした方針について強固な考えはありません。ですが、いろいろとこれまでのことを考えてみると当初は全く反対の方針だったのですが、現在はその方が今の考えや価値観にしっくりくると思う事が多いのです。


もちろん、神社でお守りを買ってきてそれを見ると「うまくいくような気がする」「力が沸く」と言うことはあると思います。プラシーボ効果のように、本来はそれ自体に効果がなくても、本人がそうと信じることで良い結果に働くのであれば、利用するメリットはあります。けれども、何事も、ほどほどが大事ですね。



現在では、母から例えば「今年は厄年」のような話を聞いても、参考にしているフリ、「教えてもらって有難う」のフリだけで親心だけ受け取っています。全く気にしません。風水も気にしません。理にかなっていればそれでよしと思えるので、迷いが激減しました。つまり、こうしたことによって、ますます頭の中の雑念が減ってミニマムにシンプルに考えられるようになったということです。

いわゆる「目に見えないこと」を必要以上に想像しないという方針です。




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