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2014/12/12

ベタな行動を避けると、することも買う物もなくなり逆に困るという現象について。


昨日の記事のように、一般的な行事や慣習を減らして行くと、困った現象が起きます。それは「することがない!」「買うものがない!」事態が増えることです。実際にはすることも買う物もあるのですが、一時的にそう感じる頻度が増えます。


例えば、昨日の記事の例で言えば、神社に行っても、縁起物やお守りなどのグッズを買うことは全てスルーということになります。様々な場所で「御利益がある」「パワースポットらしいから行ってみよう」もスルーになります。こうしてみると、もともと買い物好きで好奇心旺盛な私は、観光地で土産物店を見るのが好きだったのに、「買う物がない」ということはお店を見て回っても「全然楽しめない」ということになってしまいます。


と言っても、子供がいるのでだいぶ大きいとはいえ、クリスマス、正月などの行事を思いっきりスルーすることはできません。なので、クリスマスにはクリスマスケーキやそれなりの料理を用意します。プレゼントもです。以前も書きましたが、私個人には必要なくても、子供には社会一般的な慣習に沿って暮らすことを大前提にしているからです。


けれども、子供も成長します。どんどん親が子供に与える割合は減っていきます。なのでますますベタな行動の割合は減ります。となると、ますます「すること」「買う物」がなくなっていき気がつけば楽しみも減っているという事に気がつきます。「定番の行事や買い物をしなくても楽しめるよ~」と言われるのは承知です。ですが、なんだかんだ言って、「子供のためにまあ、やむを得ず」やっていたはずが、実はそうではなくて、結構自分が楽しませてもらっていたのだということに、今更ながら気が付いた次第です。


こうしてみると、一見「ムダ」「意味がない」かに思えるベタな行事や慣習は、もともと昔の人が変化のない日常に変化をあたえて退屈しないための智恵だったのかもしれないな~ということに気がつきます。子供のための行事も、実は「親が子供からベタな行動を楽しむための役割を与えられていた。」のだということにも。



まとめ
なので、頭でっかちにならずに、可能な範囲で素直に行事や慣習を素直に受け入れた方が良い部分もあります。(昨日の記事に書いた件以外で)つまり、少数派の行動を取るというのは精神的にも現実的にも難しい面が多いのです。裏を返せば何も考えず多数の行動と同じ考え、価値観で疑問を抱かず何も考えず周囲に合わせて生きれば浮くことも余計な悩みも生まれません。どちらを選ぶかはその人次第ということでしょうか。






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