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2014/01/14

『捨てる女』・捨てまくった後とは。

つりーはうす
(写真と本は関係ありません)



『捨てる女』読了。
著者の事は、この本で初めて知りました。努力家で行動力もあり、知識と様々な経験と実績も豊富な方です。この本は著者が身の回りの物を整理しようと思い立ってから、それら一連の行動と思いを綴ったエッセイです。自分の事は「あたし」と表現しています。気の置けない友人とお茶飲み話をしているようなノリの文章で、一気に読めます。(ただし理解不可能なエピソードもありました。)






この先ネタばれ注意。










果たして著者は「捨ててどうだった」のか?
この手の本は、普通、最終的に「捨てて良かった。」というオチにです。私は当然、そういう流れの本だと思って読み始めました。もちろん、途中は割とそういう流れです。けれども、あとがきの冒頭の文章はこうです。








「それにしても、どうかしていた。」





何の事かと言うと「いろんな物を捨てた事。」についてのことです。著者の場合は捨てたことに関して後悔しています。最近、出版されている捨てた事を話題にしている本の多くは、「初めは後悔すると思ったけれど、そうでもなかった。むしろスッキリして良かった。」というものです。そういう風潮の中で、捨てた事を堂々と後悔しているオチの本は自分に正直で潔いと思いました。





本当は後悔していても、人はなかなかそうと認めたくなかったりする
どうしても人は自分の行動を肯定しようとします。だから内心は後悔していても、いろんな理由をつけて「スッキリした。」と結論づけます。実際私も同じように思った事があるのでそう感じました。もちろん、全てに後悔しているわけではありません。物によって捨てて良かったと思う物と後悔している物に二分されます。著者も同じようです。





著者も私も、実は捨てて後悔したものと後悔していないものがある。
著者の場合は本の後半に登場する旅先などで買い集めた本を捨てた事を後悔しています。私も捨てて後悔しているものの一つが本です。私の場合は著者のように旅先で買い集めた希少な本ではありません。買おうと思えば買うことができる本です。けれども、手元に本がないと、読んだ事も忘れてしまいます。それはそれで血肉になっていると思って捨てたわけです。けれども、やはりたとえそれほど読み返すことがないとしても本の背表紙が見えるのとそうでないのとでは違うのです。






捨てているうちにハイになって普通の判断が鈍る事がある
捨てる事を推奨する達人の方は、そういう思い入れのある物は無理しなくて良いと言っています。けれども、実際は捨てる作業を始めると段々ハイになっていくので、後で後悔する物まで誤って捨ててしまうことがあるのです。けれども捨てた事を後悔したと思えば、ある時突然全てがガラクタに見えるときもあります。







人の心は変化するので、どの状態で判断するかが重要かもしれない
つまり人のは一定ではなく変化しているわけです。物を持つ事の判断を、一体どの状態で決定するか、それが問題のような気がします。一般に気持ちが不安定のときには、捨てずに何でも取っておきたいか反対に何でも捨てたくなるかのどちらかです。思い返してみると気分が良い時の方が捨てようとは思わない傾向があるようにも思えます。







買わない生活は本当のところ楽しめてないかもしれない
私の場合、捨てるようになってから、本当に物を買う機会が減りました。それは良い事とされているのですが時々本当にそう?と思うのです。たとえば以前は「これ」と思った服を買っていました。ところが最近はかなり考えてしまいます。その分箪笥のこやしは減ったけれど、買い物も楽しめないし以前よりワンパターンになっているような。観光地に行ってもお土産屋さんで買うべきものが見つからない。部屋のインテリアも、掃除が大変になるからと楽しむよりも飾らない方を選んでしまい、いつも同じ。







私には、少し無駄な物や余計な物があるくらいがちょうどよいのかもしれない。
確かに良く考えずに感情に流された買い物は余計な物を増やします。お金も無駄にします。けれども、楽しみが減った気がするのです。環境の事を考えれば無駄な買い物はいけないし、大変な思いをして得た収入の無駄遣いはよろしくありません。けれども、何か違うかも・・と思い始めているこの頃です。少し無駄な物や余計な物があるくらいの方が楽しいのかもしれないと思うこの頃です。









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