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2013/12/08

スマホのアプリはミニマムに。

私がスマホを持ったのはまだ数ヶ月前です。初めは多くの無料アプリに「すごい」と感激さえしていました。


けれども、現在は次々とアプリを削除しています。残っているのは、消せない基本のアプリとバスと電車の時刻表、Google、ヤフー、ブログ、アマゾンと楽天、このくらいです。(厳密には、いったんインストールしたアプリは画面から削除しても画面から消えているだけで別の設定が必要なのかもしれません。)



ライン、スカイプは、初めからアプリも入れていませんので使いません。




スマホのアプリは、初めのうちこそ便利と喜んでいましたが、しばらくすると、これらは全て「あれば便利」なものに過ぎないと気が付きました。




「あれば便利」は、「無くてもよいもの」のだと耳にタコが出来るほど聞いた気がします。(読んだというべきでしょうか。)




そうです。




多すぎる過剰な不用品の中には、必ず「あれば便利」なもので占められている確率が高いのです。思い切って、手放してみても何ら困ることはありません。




困るどころか、過剰なものを手放したあとは、必要なものが明確になり、ラクに行動できるようになることは身を持って経験しています。




ところが最近では、スマホのアプリのように必ずしも物理的スペースを占めない「あれば便利なもの」も身の回りに存在するようになりました。また、普段使わない書類や情報は、スキャンしたり、ネット上に保管するなどできるので、必ずしも捨てる作業が必要ではないといわれることもあります。




身近な例をあげれば、Gmailなどは、基本的に定期的に完了したメールを削除しなくても良いそうです。メールのやりとりは、その人のライフログである側面もあるので、全て削除せずに残しておけば、あとで必要な時に簡単に検索などで探せるので、メールは捨てずに取っておくものだと主張する方もいます。




確かに、何等かの業務を行っている方などには、そうした方法は有効かもしれません。また、わざわざ日記を付けなくてもメールのやり取りを見れば、その日、その時間、どんなことをしていて、誰と会っていたのかも詳細にわかるので有意義な面があるかもしれません。または業務などをしていなくても、趣味の範疇として自分の個人的なライフログがわりとしても面白いかもしれません。




このような方の場合をのぞき、私は、「物理的なスペースを占めなければ、たとえたいして必要でないものでも「とりあえず」持っていれば良いものなのだろうか。」と疑問を抱きます。




昔読んだ、カレン・キングストンの本に「たとえ目に見えない場所にしまっていても潜在意識が覚えている。それが知らず人をひどく疲労させる」という内容が書いてあったと記憶しています。







この本が書かれたころには、まだデジタル化した情報の保管は一般的ではなかったと思います。ですから、著者が言っているのは全て目に見える物理的な「物」についての話です。けれども、改めて内容を思い出してみると「見えない場所に保管してあるもの」とは、今の時代にあてはめると、スマホのアプリやネット上に保管してある情報、データ、電子化して保管してある書籍、記録媒体に保存したデータなども同じ事ではないかと思ったのです。





つまり、スマホのアプリのようにスペースを占めない物でも、削除しない限りはスマホの画面に「とりあえず」残したままでいる限りは「押し入れの天袋などに入れっぱなしの不要な物」と何ら変わりはないのでは?ということです。




アプリと同様のものに、先ほど触れたメールの記録、電子化した書籍、スキャンしたデータ、ネット上に保管したデータ、パソコンや記録媒体に保存したデータ・・などがあります。結局のところ、明確な理由があって保管しているのでない限り、これらも全て実のところは「押し入れの天袋」に押し込んだ「とりあえず見えない場所に保管したいらないもの」と同じではないのかと思うのです。



現実には、周辺から紙の本はなくなっていないし、電子書籍の出版物はかなり少なめです。メールがあっても、相変わらず連絡には郵便で紙の書類で送られてくるものが多数ですし、学校関連の連絡は、ほぼ高い確率で紙のプリントと固定電話の連絡網が使われます。(一部、緊急連絡などには、連絡網と併用してメールを扱っているところもあるようですが、まだ少数だと思われます。)



本を読めば、ほぼ書いてある事と内容は同じ・・とわかっていても、著者の講演会に行くことは別・・とお金を払って出かける人は多数です。書面で連絡すれば済む内容でも、日時指定された日に説明会などの集会を設け、結局のところ配布された書面をほぼ読み上げるだけの様なものも多数存在しますが、これに異を唱える人は稀でしょう。




このように、私たちは、結局のところ、データを必要としているのではなくて、何か実際に手に触れることができるもの、目の前に見えるもの、実際に生の人の姿を拝見したり、生の声を聞いたり、周囲の人との直接の交流をすることに喜びを覚えるのですね。




だから、どんなにデジタル化されたスペース不要の機能が充実した時代になっても、これまでのアナログな手法は消えないのでしょう。




これほど紙のものをスペース不要で保管できる技術が一般化しても、いまだ、収納達人の多くは「いかにして紙の書類を効率的の保管するか」について力説します。これは、デジタル化した情報は、省スペースの点についてはメリットがあるけれど、必要な時にすぐに取り出せること、つまり「アクセス」のフットワークの良さについては断然、紙の書類の方が、予め整理さえしておけば「一番早い」ことを多くの人がメリットと感じているからにほかなりません。



もちろん、デジタル化した情報でも、企業レベルの量になれば、別です。紙の書類より、デジタル化したもののほうがスペースもアクセスも少なく、素早くできます。けれども、一般家庭レベルとなれば話は違ってきます。




私も、家電のトリセツや、念のため保管してある学校のプリントなどの書類を、スキャンしてデジタル化してネット上か記録媒体に保管しておこうかと考えたことがあります。けれども、結局のところ、必要な時にすぐに取り出せる自信がないので、やめておきました。




我が家で保管してあるトリセツや学校関連のプリントなどは、せいぜいファイルボックス2個分程度に過ぎないからです。仮にデジタル化して保管したとして、いざ必要な時に、果たしてすぐにアクセスできるか・・私はその手のものの扱いにあんまり明るくないので、結局、時間がかかりそうなのでやめておきました。




それよりも、必ずしも必要ではないものをスペース不要だからと、とりあえず持っていることをやめた方が、ずっと有意義だというわけです。





このような考えから、私のスマホのアプリは、ごく限られたものだけになっています。






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